『顔泥棒と紛いのサーカス』感想

前置き

『顔泥棒と紛いのサーカス』(カブ様)ネタバレあり
だいぶまとまりのない感想です。

#メモ
書いていたら名前が入り混じってややこしかったのでメモ。
ミシェル:サーカスの花形。
ノエル:御曹司
〝ミシェル〟:顔泥棒。




 設定画面とオープニングからお洒落でスタイリッシュ。BGMが好きです。盗賊の鏡だけ割れるのは後の展開に沿ってなのかな?
 システムがわかりやすく操作しやすかったです。PC二人の分スペースが広くて見やすい画面構成、ひとつひとつ丁寧に答えていけば自然と結論が導き出される親切設計。時間(回数)制限あるとすごく焦ってしまうので、じっくり読み返し考えられるシステムはとてもありがたいです。

 何か隠してる依頼人って大体冒険者を利用しようとする輩なので参謀が苛立つのも当然。「最後はつまびらかになるっていうのに」なんて言えるのは参謀の頭の良さもありつつ、どんな嘘も秘密もいつかは白日の下にさらされてしまうと知っているからなんでしょうね。後の団長とのやり取りとも通じるセリフでした。

 事務員さんとのやり取りで何か聞き覚えが……と思ったら、ルドロスは「ローウィンの賛美者たち」の舞台ですね! 気づかないうちにサーカスとすれ違っていたのかな。(あの町でサーカスって需要あるんだろうか……そういう目的ではないけれど)

 猛獣使いさんが「みんなミシェルに縋っている」「体よく祀り上げているだけかも」と言っていたし、ミシェル自身もそう振舞っていたんだろうけれど、実態は「哀れな被害者」を演じるスケープゴートではなく、真実を見落とし踊る道化だった。ヤギの仮面をつけていたのは偶然でしょうか。「知らない相手には普通、口をつぐむもんだろう」と言ってしまうあたり、人を動かす貴族の目線はあっても人の機微には意外と疎いんだろうか。

 容赦なくケーキセットを頼む盗賊(甘党)
 ノエルと盗賊の、「描きあがったら燃やしてしまいますから」「描く意味あるのか?」「描くこと自体が意味じゃありませんか?」の問答、後の展開を思うとひやりとします。描くこと自体に意味はあるけれど、「残すこと」に意味を見出さない辺りが彼の生き方を象徴しているのかな。一心に見つめ続けて、だけど何も残さないから空っぽの虚像のまま。

「僕も、昔は彼らに憧れたものでした。あそこに立っている人たちは、全員が主役でしょう?」「観客の目をいっぱいに浴びて、なお堂々と、むしろ一層生き生きと、」
「どうして思い出したみたいに恐れて、遠ざけるんでしょうね」「火が危険を孕むものだと知っていて、僕らはなおそれを使っていたはずなのに」
「いつかは思い出せなくなる。残さないと、忘れていく」と言っているのに、自分の描いた絵は残そうとしない辺りが……

 参謀が事務員さんに忠告するシーンが好きです。知ることに貪欲だからこそ、その暴力性も理解している参謀。
 ただでさえ危うい均衡の上に成り立つサーカス、参謀がいろいろ聞いたことで事務員さんも真実に気づく可能性がぐっと高まってしまったから、「知ること、知ったことから目を逸らすな」と伝えてる。このシーンが後の「お前は優しいんじゃない、甘いんだ」に繋がるんですよね。
「気分のいいものじゃないな。無知をいいように利用されているのを見るのは」なんて溢すあたり、皮肉屋で手厳しくても、情を捨てている訳ではない人柄が見えて好きです。

 華やかなサーカスで二つの出会いが交錯し、合流する瞬間。盗賊も参謀もお互い(何やってんだあいつ……)と思ってるのが何だか微笑ましい。
 参謀が引き受けた仕事かと思って何も聞かず、「待ってろ」と躊躇いなく駆けだす盗賊が格好いい! 人相残したくない顔見られたくないと言いつつ、一番人の注目を集めてる。鮮やかに跳んで、捕る――こうやって迷いなく動いてくれる盗賊だから、参謀もこき使……頼りにしてるんだろうなと思う一幕でした。
 参謀が感心したのが盗賊ではなく、演者の方なのもいいなぁ……「あいつならこれぐらいできるだろ」という信頼、信用が垣間見える。
 推しに認知されたくないタイプのオタクなので、メイリィさんが「認知なんかされたらあたし死んじゃう……」と言っていたの、とてもわかります。その後の私物横流しの一幕も面白かったです。容赦ない参謀と困惑しつつただ見てる盗賊。いいのかそれで……

「だから僕は、人の顔を描きたいのかもしれません」「自分にはないものが羨ましいから」
 ノエルが顔を隠していたのは顔泥棒であることを隠すためで、「親が顔を嫌がる」は方便なんだろうけど、ミシェルはそれを信じ切って「親子仲は良くないように見える」って言ったんだろうな。(実際に顔を見たくないと思っていた可能性もなくはないけれど)
 ……でも顔をどんどん取り換えていくから何も残らないのでは。誰かと顔を取り換えたところでその〝誰か〟にはなれないし、仮面をかぶっていることと同じ。どんなに誰かに憧れても、顔と名前を変えても、結局自分は自分でしかない。以前会った人にまた会っても〝ノエル〟として認識してもらえないように。

 参謀のことを聞かれて、「こいつに、それを渡すわけには――」と沈黙を選ぶ盗賊。何か渡せば〝顔〟と同じように奪われてしまうからと直感したからかな。仲間、連れ、相棒、もしくはどれにも当てはまらない何かかもしれないけれど、盗賊にとって参謀の関係は大事なもの。それを言ったら当人たち何だか嫌がりそうだけど。それだけ盗賊に見てもらえる参謀が羨ましくて、追いかけてほしくて事を起こすノエル。もしあそこで盗賊が何か答えていたら、参謀の顔を奪おうとしたんだろうか……いや特に執着しなくなるのかな……

「あなたはずっと、遠くの何かを、あるいは誰かを見ている。ここにいる僕ではなくて」「あなたには、あなたの思うままに僕を見つめていてほしいんです」
 誰かに見ていてほしくて顔を変えていくけど、顔を変えてしまうから何も残らず見つめてもらえない。「少しでも関わりを持った瞬間、相手の言葉を、意味を付与せず聞くことのできなくなる生き物だから」と参謀が言っていましたが、知ってしまえば心に残してしまう、何か見出そうとしてしまうから盗賊はノエルと会話しようとしなかったのかな。
 でもこうやって色々プレイした側が考えているのも、ある種「意味を付与している」のかなあと思うと段々混乱してきました。わからないので突っ走ります。

「俺たちは意味に塗りこめられてしまう」「知ることによって付与されるラベル」「人は人という意味の集合としてそこにある」
 知れば知るほど付加価値がついて本質からは遠ざかり、公平な判断を下せなくなってしまう。人はひとりでは存在できず、観測する誰かがいて初めて存在できる。〝ノエル〟がミシェルとしてサーカスの花形になったように。
 別れる直前ミシェルの表情を想像するのを避けたのは、彼を意味に塗りこめないようにでしょうか。知ることが偏ることだと理解しているから公平であろうとする参謀らしいなと思いました。

 殺すことそのものに目的があるのも、その対象が〝ミシェル〟であることも結局は盗賊の直感。明確な道筋がないから曖昧で落ち着かなくて、「きみの導いた答えが欲しい」と最後のジャッジを委ねる盗賊と、自分の直感に追いつけとは傲慢だと言いつつ「妬けるじゃないか」と返す参謀のやり取りがたまらない……信頼とも信用とも、簡単に名前を付けてはいけない「ただひとつのこと」
 うちの参謀の場合、普段何にも惑わされず淡々と自分の道を行く盗賊が、珍しく他人の言葉に振り回されてて、別に妬いてないけれど(愉快だなぁこいつ)と揶揄う感じで言ってそう。

 参謀に容赦なく言葉でボコボコにされるミシェル(花形)。相手を知ろうとせず、自分の都合のいいようにしか見ない。そうやって見落とし見過ごしたものが後で牙をむいて襲い掛かってくる――疑い、本質を知ろうとすることがその暴力に抗う唯一の手段。事務員さんに「疑うことはやめてはいけない」と伝えたのも同じ理由ですよね。
 理由ばかり知ろうとするのは、全ての物事に納得に足る理由があると思う、自分の物差しで理解出来ると思うから。自分とは全く違う、想像もできない考え方や世界を持っている人がいるとは考えない無意識の傲慢。ある意味押し付けがましい。


 誰にも見つからなければ、存在しないのと同じ。ノエルのことを考えれば考えるほどわからなくなっていくというか、鏡をのぞき込んでいるような心地になります。でもミシェルを鏡の中の虚像にしてしまったのはミシェル自身なんだよな。

「秘密を作りたかった?」
「あなたに見てもらいたかったんだ!」
 ミシェルは盗賊と〝共犯〟になりたかったのかな……。
 このシナリオの盗賊と参謀は、親友とか相棒とかそう簡単にラベリング出来ない関係性だなと感じます。盗賊は一人でも生きていける人だけど、(こいつに渡すわけには――)と思うぐらいには大事な参謀がいる(大事とか大切とかはっきり言葉にするような関係性でもないような気はしますが)。〝ミシェル〟はそれぐらい強い視線で見てもらいたかったのかな。

「きみの飢えは、きみ自身ではどうしたって満たせない」
 他人と交流することで初めて自分の存在が証明される。「誰かに見つけてもらいたい」と思うなら、顔を捨ててはいけなかった。もう〝ミシェル〟の本当の顔は焼け落ちてしまったんだな……。
 秘密の共有ならミシェル(花形)ともしているけれど、彼は彼の都合のいいようにしか〝ミシェル〟を見ていないから、そこに〝ミシェル〟は存在しない。


「きみは、泥棒には向いていなかったな」
 泥棒は隠密が基本で、誰にも見つかっちゃいけないから。



# ローウィンの賛美者たち
 今作のプレイ後に同作者様の「ローウィンの賛美者たち」をまたプレイしたんですが、
「でも、知ることは。
思い出すことは、きっとあなたをもっと自由にする」
「絵筆の前に何を握っていたとしても。こうして絵筆を取ることを、もう一度選んだっていいんです」
「それが知ることだって、私は思います」
という一連のセリフにとてもはっとさせられました。
 丘に寝そべった女性のことを知ることで、絵の見え方はかわるかもしれない(付加価値)けれど、それは捉え方が変わっただけで絵そのもの(本質)が変わったわけではない。たとえ己が何者であったとしても、ハロルドがハロルドであることは変わらないから何を選んだっていい。
 作者様が意図したかはわかりませんが、ここで「知ることは自由にする」と言うのはリーダーなんですよね。このシナリオの参謀や盗賊では出てこない言葉なのかなと感じました(参謀は知ることに貪欲ではあるけれど、同時にその暴力性も理解しているから慎重なところもあると感じたので、知ってから何を選んでもいいとは言えない気がします)。
 知ることで新しい視点を得て新しい答えを見出す――そう言えるからこの参謀と盗賊たちのリーダーをやれてるのかなぁ……(深読みもいいところかもしれない)


 人は他人を理解しようとした時、鏡を覗き込むように自分と似た部分、あるいは全く違う部分を取っ掛かりにしてるんですよね。他人を百パーセント理解するのは不可能だし、自分のものさしを当てはめてどうにか咀嚼するしかない。それを忘れて「理解している」と思ってしまうとしっぺ返しを食らうよ、というお話なんですよね(多分)
 知ること、人と関わること――色々と考えさせられるシナリオでした。解釈や受け取り方に頭を悩ませてしまう物語でしたが、こうやって疑って考え続けることが大事なんでしょうね。大変素敵なシナリオ、ありがとうございました!