言うは易く行うは難し


「あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁぁ……」
 ジャックはリューンのとある酒場に来ていた。わざわざ黄昏の鳥亭を出たのは隣で無様に呻いている相棒の要望だが、ジャックとしてはタダ酒が飲めるならどこでもいい。
「全然気づかなかったな……いつの間に、そんなやつ出来たんだろう……」
「うん」
「一緒にいたいんだってさ。……あいつ、冒険者止める気か? そうじゃなきゃ一緒にいられないよな……」
「さあ」
「……ジャック、お前聞く気ないだろ」
「ないよ。……わかって誘ったんだろう、君」
 アルフレドは盛大なため息をつき、グラスを呷った。それを横目で眺めながら、ジャックもエールに口をつける。いつもより苦く思えるのは、隣の辛気臭い相棒のせいだろうか。『月虹』の頼れる参謀も、恋の前では形無しらしい。
(……そんなにすきなら、言ってしまえばいいのに)
 恋愛感情なんて欠片も理解できないジャックだが、リアーネがアルフレドを大切に思っていることはわかる。それが恋でなかったとしても、彼女なら寄せられた思いを無下にすることはすまい。……そう、昼間薬師の青年にしたように。
『本当に優しいね、君は。君のそんなところが、きっと――』
 薬師の青年もリアーネも不用心が過ぎる。宿の屋根上で昼寝をしていたジャックには全部聞こえていた。リアーネが聞き逃したらしい青年の言葉さえも、ジャックだけは知っている。声は聞こえずとも、唇の動きで十分だった。
「そんなに苦しいなら、やめてしまえばいいのに」
「止められるのならこんな苦労しねぇよ、馬鹿」
 思いの外明瞭な返事が来て驚く。普段は感情を読み取らせない顔は赤く染まり、紅玉のような瞳はアルコールでとろけている。そのくせ奥底に剣呑な光を秘めていて、なんだか危うかった。帰りは担ぐ羽目になりそうだ。
「やめられないならパーティを抜けるとか、いっそリューンを出るとか」
「離れたぐらいで忘れられるなら、こんなに好きになってない」
 グラスを揺らし、アルフレドはくつりと笑う。よく見知った腐れ縁が急に遠い誰かに思えて、ジャックは顔をしかめた。……それを言えばいいのに、と思うのは、己が恋を知らないからだろうか。きっとどんなに素晴らしい歌を聞いても、あの冷淡だった相棒にこんな顔をさせる感情は理解できまい。
「……恥ずかしいことを言うな、君は」
「まったくだ。……あぁくそ。こんなの、知りたくなかった」
 からん、とグラスの中で氷が踊る。その数秒後、アルフレドは勢いよくテーブルに伏せた。流石に潰れたか。
「おい」
「……あいつが、」
 机に突っ伏したまま、アルフレドがぽつりとつぶやいた。
「あんな泣きそうな顔するところ、初めて見た。だから無性に腹が立って、……悔しくて」
「……ん」
 君のほうが泣きそうだ、とは言わないであげた。
「しあわせになってくれるなら、それでいいはずなんだ。こんな稼業、長く続けるもんじゃねぇし……」
「ん」
「……でも、一緒にいてほしい」
「……うん」
 それだけは、少しだけわかる。リアーネがいなければ、『月虹』というパーティは成り立たない。そして『月虹』だけが、ジャックの居場所だ。
「……帰ろう、アルフレド。リアーネが心配する」
 ジャックはグラスに僅かに残っていたエールをぐっと飲み込んだ。やっぱりいつもより苦い。……そして相棒の返事はない。
「アルフレド。……おい、アルフレド?」
「――……ん」
 返ってきた答えは夢の中から。一瞬置いていってやろうかと思ったが、そうしたら絶対にリアーネに叱られる。仕方なく会計を終え(アルフレドの奢りのはずだったのに!)、完全に寝ている彼を背負って酒場を出た瞬間だった。
「……あ、やっぱりここだったんですね」
「リアーネ」
 まさに酒場に踏み入ろうとしていたのは、先程まで会話の主役だったリアーネだ。ジャックを見てほっと表情を緩め、次にアルフレドを見て心配そうに眉をひそめた。
「二人で出かけたとは聞いたんですけど、帰りが遅いから心配で……アルフレドったらどうしたんです?」
「……ちょっと悪酔いした、みたい」
「おや、珍しい……手伝いましょうか?」
「いい。……二日酔いに効く薬でも、作ってあげて」
 流石に華奢なリアーネに肩を貸してもらうわけにはいかない。そんな事をしたら、後で絶対アルフレドに詰られる。面倒な男だ。
「二人は本当に仲良しですね。何を話してたんですか?」
 二人並んで、いつもよりゆっくり歩き出す。リアーネのことだなんて言っちゃいけないのは流石のジャックでもわかる。どう誤魔化すべきか。
「別に、仲良くない。……色々だよ」
「色々、ですか」
 その返事をリアーネはどう受け取ったのか、寂しげに微笑んだ。
「……やっぱり、アルフレドにとって私は、頼りない後輩のままでしょうか」
「そんなこと、」
 雲が空の月を覆い隠し、リアーネの顔に影を落とした。表情が、よく見えない。
「アルフレドが色々隠してること、知ってるんです。私に話せないことがたくさんあって、一人で抱え込んでるんだって」
 それは、きっとリアーネへの恋情以外も含むのだろう。アルフレドの過去は、ジャックでさえ全容を知らない。知ろうともしないジャックだから、ここまで付き合いが続いている。
「リアーネ、あの、」
 だから、アルフレドの秘密主義はリアーネが頼りないからではない。問題があるのはアルフレドの方で、彼女が気に病むことはない――そう言うことさえ彼の傷を暴くようで、ジャックは中途半端に口を噤んだ。それを見て、リアーネは再び微笑む。
「いいんですよ、ジャック。全てを知ろうだなんて、きっと烏滸がましいことです」
「でも」
「……それでもいつか、このひとが心穏やかに過ごせる日が来ればいい。そう、願ってるだけなんです」
 雲が流れて、再び月光がやわらかにあたりを照らした。リアーネがアルフレドを見つめる瞳はとてもやさしくて、なぜかジャックのほうが狼狽えてしまう。……これは、きっとアルフレドが受け取るべきものだったのに。
『きっと、苦しくなるんだ』
『……でも、一緒にいてほしい』
 二つの言葉が脳裏をよぎる。苦しくても痛くても、どうやったって忘れられない、やめられないのであれば――いっそ、
「とどめを、刺してやればいい」
「え?」
 灰簾石のような瞳を丸くして、リアーネはジャックを見つめる。自分でも何を言っているのかよくわからないまま、ジャックはまくし立てた。
「君がいつか、こいつの心臓を刺してやればいい。……そうしたら、アルフレドだって諦める」
「また貴方は物騒なことを……息の根を止めたいわけじゃないんですよ、私」
「それぐらいの気概で、こう、ざくっと」
「えぇ……?」
 リアーネは戸惑いを隠さず、困惑げにがつぶやく。当たり前だと思う。ジャックでさえ理解していないのだから。
「……あぁ、わかりました」
 リアーネは形の良い眉を寄せてしばらく唸っていたが、ふと顔を上げた。その表情は意外と晴れやかだ。
「いえ、正直全然わからないんですけど――貴方が言おうとしていることは、多分、なんとなく」
「わかるの? 俺もわからないのに」
「わかってないんですか!? ……このひとは意地っ張りですから、それを壊すぐらいの勢いでいけ、ということでしょう?」
「……多分そう」
「もう、ジャックったら」
 悪戯っ子を見つめる母親のように、リアーネが苦笑する。……アルフレドが起きていたら、きっと悶絶しただろう。ジャックはぼんやりとそう思った。
「……きっと、アルフレドは」
 黄昏の鳥亭の看板が見えてきた。長いようで短い帰り道の終わりだ。
「意外と寂しがり屋だから。リアーネがいれば、大丈夫だよ」
「そうですね。……そうなれればいいな、とは思っていますよ」
 そう微笑んで、リアーネは一歩踏み出した。ジャックより一足先に宿に辿り着き、ドアを開く。
「いつか答え合わせが出来るといいですね、ジャック。……おかえりなさい」
「……ただいま」
 リアーネが押さえてくれていた宿のドアを通る。酒場であるのは変わらないはずなのに、なぜか懐かしい気がして息が詰まった。
 リアーネといる時のアルフレドも、こんな気持ちなのだろうか。……だとしたら、離れられず忘れられないのも頷ける。いつか来る別れを、ひたすら先へ伸ばすのだろう。
(……それなら、やっぱり早く、とどめを刺してもらった方がいい)
 己を焼き尽くしてしまう前に、逃げ場がないと思い知ればいい。行き着く先は、きっと一つだけだ。


「好き」の意味を理解することはきっと出来ない。
「幸せ」の意味もわからないまま、それでも願っていることは確か。