拝啓、遠き日の面影
ある日の午後。『月虹』は久しぶりのオフを過ごしていた。ここ最近せっせと依頼をこなしていたため懐はあたたかく、今月分のツケは既に払い終えている。たまにはのんびりしよう、と各々自由に休日を満喫していた。
「……」
仲間たちが出かける中、リアーネはアルフレドの部屋で過ごしていた。前から探していた本を彼が持っていると言うので借りに来たのだが、『そこで読んでいていい』という彼の言葉に甘え、寝台に腰掛け本を読んでいた。……しかし、残念ながら読書はあまり捗っていなかった。
「――……」
部屋の主はというと、先程からずっと装備の手入れをしていた。細剣やナイフを研いだり、護符の点検と修復といった作業を黙々とこなしている。今は宝石に魔力を込め直しているらしく、時折いつもより低い声で詠唱するのが聞こえた。――それなりに集中力のいる作業だ、当然会話はない。
(……どうして、部屋にあげてくれたんでしょうか。邪魔されたくないはずなのに)
リアーネの読書が進まないのはこれが原因だった。沈黙が気まずいのではない、むしろその逆だ。
アルフレドは一見人当たりはいいが、その実きっちり線を引いている。そんな彼が、当たり前のように自分を受け入れてくれる。その事実が妙にくすぐったくて、ふわふわして、とても本に集中できなかった。ずっと読みたかった本なのに、気づけばすぐ視線を彼に向けてしまっている。
(ダ、ダメです。これじゃ何も手につきません……!)
ぱたん、と本を閉じる。自室に戻るか、いっそ下に降りて差し入れの珈琲とお菓子を用意しようか――そう思って、立ち上がりかけた瞬間だった。
「……よし、終わった。それでリアーネ、何の用だ?」
「えっ」
声が裏返り、恥ずかしさに顔が熱くなる。アルフレドはそんな彼女を見て、訝しげに首を傾げた。
「さっきからチラチラ見てただろう。何か用があったんじゃないのか?」
「え、えっと……その……」
彼の口調は、決して咎めているわけではない。ただ確認しようとしているだけだ。それでも盗み見ていた後ろめたさが動揺に繋がり、うまく頭が回らない。……そもそも、用があって見ていた訳じゃないのだ。
「……リアーネ?」
道具を置いたアルフレドが、こちらへやって来た。リアーネを心配そうに見つめながら、すぐ隣に腰掛ける。……その瞬間、あるものがリアーネの目に止まった。
「あ、あの、えっと」
「うん?」
「そ、そのペンダントは、手入れとかしなくていいのかな、と……」
リアーネが指さしたのは、アルフレドが首にかけているペンダントだ。口にしたのは話題をそらすためだったが、以前から気になっていたのも事実だった。
「……ああ、これか」
アルフレドは自身の首元に視線を落とし、軽く革紐を引っ張った。年季ものなのか、金古美の金具は鈍い光を放っている。
リアーネの知る限り、彼がそのペンダントを外したことは無い。護符の一つだろうかと思っていたが、他とは扱いが何となく違うのだ。現に、ペンダントを見つめる彼の瞳は懐かしむ一方、持て余しているようにも見える。様々な感情が入り混じり、万華鏡のように複雑な模様を描いていた。
「これ、そんな気になるか?」
「え、えぇ、まあ」
後ろめたく思いつつ頷けば、彼は項に手をやり、ぱちんと金具を外す。そして、事もなげに言った。
「ほら、見ていいぞ」
「――えっ!?」
あっさり差し出してくるから、リアーネのほうが焦ってしまう。恐る恐る手を伸ばせば、アルフレドは「危険なものじゃないぞ」と苦笑した。そういう心配をしているのではない。
落とさないように、そっとペンダントを手に取る。中心の赤い宝石からは、微弱ではあるが魔力が感じられる。おそらく何かの加護が込められているのだろう。――よく見れば、宝石が埋め込まれた土台には蝶番がついていて開けられるようになっていた。
「これ、ロケットだったんですね?」
「ああ。開けていいぞ」
壊さないよう、慎重に蓋を開くと中には一枚の絵が入っていた。描かれているのは、まだ歳若い男女――上品で繊細そうな面差しの女性と、端正な顔を厳しく引き締めた男性だ。二人の顔立ちには、何となく見覚えがあった。
「……もしかして、貴方のお父様とお母様では」
「ああ。婚約の時に描いてもらった絵だってさ」
「大事なものじゃないですか!」
さらりと返された答えに、危うく飛び上がるところだった。ペンダントを取り落としそうになって、慌てて持ち直す。
「こ、これ、私が触っていいようなものじゃ……」
「そんな大したものじゃないさ。年季ものだし、加護も弱まってる」
「そういう、ことでは……」
何と言ったらいいのかわからなくなって、リアーネは俯いた。アルフレドと両親のあいだにあった出来事は、少しだけ聞いている。その終着点にも立ち会った。だがリアーネが知っているのは断片のいくつかに過ぎず、彼にとって両親――特に父親がどんな存在だったのか、ほとんど知らないのだ。きっと彼自身でさえ、まだ決着をつけられていない。リアーネが軽々しく、触れていいものでは――
(……でも、こうして見せてくれたんですよね)
ロケットの中の女性は、静かに微笑んでいる。誰かを見守るように、少し寂しげに。彼女――アルフレドの母は魔導具作成が得意で、アルフレドが使っている細剣は彼女が作ったものらしい。
「もしかして、これもお母様の作品ですか?」
「ああ、お守りよって。……そういえば、大事なひとが出来たらその人の絵に変えなさいって言われてたっけ」
後半はリアーネというより、遠くの誰かへ向けるようだった。その表情は想像よりずっと穏やかだ。
「忘れてたな、肖像画なんて庶民には縁がないし。あのひと、お嬢様だったらしいから……」
アルフレドの指が、そっと両親の絵をなぞる。唇が緩やかに弧を描き、絵の中の母親と同じ顔になる。
「どうしてこの絵だったんだろうな。きっと、手元に残しておきたかっただろうに」
「……だからこそ、貴方に渡したんじゃないですか?」
アルフレドは目を瞠った。その表情が、ゆっくりと苦笑へ変わる。
「そうかもな。……母さん、昔から色々俺に渡しすぎなんだよ。これじゃ持ちきれない」
「でも、貴方は一つも落とさなかったでしょう?」
「必死だっただけだ。捨てようとしても、全部拾って押し付けてくるやつもいたし」
なぜかアルフレドは、リアーネを見て笑った。呆れたような、それでいて慈しむような眼差しに心臓が跳ねる。
「……と、とにかく! これはやっぱり、貴方が持っていなきゃ駄目でしょう。見せてくれたのは、嬉しいですけど」
無性に恥ずかしくなってきて、ペンダントを突き出す。アルフレドはそれを受け取り、つぶやいた。
「ああ、そうだな。……もうしばらくは、このままにしておく」
「それがいいですよ、きっと」
いつか彼が、ちゃんと言葉で二人を見送れるまで。
午後の穏やかな日差しを受けて、紅玉が鮮やかに輝いた。
届かない手紙でも、いつかは伝えられるだろう。