アケロンの渡し

 馬車を降りてまず感じたのは、強烈な日差しだった。とっさに目を閉じてから数秒、リアーネはおそるおそる瞼を持ち上げた。
「海だぁ……!」
 シャルロットが歓声を上げる横で、リアーネはただ息を呑み、目の前の光景に見入っていた。
 どこまでも果てしなく続く、碧い海原。緑がかった碧は透き通っているのに、底を見通せないほど深い。さあっと肌を撫でる風は乾いていて、本当に潮の匂いがした。
(これが、海……本当に、こんなものが世界にはあるんですね)
 父から話を聞いたことはあったが、言葉だけでは全く想像できない光景だった。ぼうっと見惚れていると、ティサが二人を呼んだ。
「リアーネ、シャルロット! そろそろ行くわよ」
「は、はい!」
 見れば、仲間たちは海岸に留められた小型船のそばに集合している。これからあの舟で難破船へ向かい、亡霊退治をするのだ。慌てて舟に向かいながら、リアーネは依頼人とのやり取りを思い返した。

 クイーン・シャロン号が消息を絶ったのは、先月のことだ。学者によると、航行中に嵐で流された可能性が高いという。そしてつい先日、座礁したと思しき船が発見された。試しに乗船した者は亡霊に襲われ、命からがら逃げ出したらしい。
「……そういうわけで、諸君にはあの船に赴き、船長の私物を持ち帰って貰いたい」
 一昨日、『月虹』は、クイーン・シャロン号を所有していた商人の邸宅に赴いていた。商人の説明は淡々と淀みなく、明瞭だった。
「旅程は往復二日、加えて船内の掃討に半日は見込んでいる。現地までの馬車と船はこちらで手配した。
 船長の首飾りを持ち帰れば、銀貨で千枚。何も発見できなくとも、亡霊を片付けてくれれば八百枚は出そう」
(ゴースト退治で、最低銀貨八百枚……悪くない依頼ですね)
 『月虹』には魔術師二人に加えて、神聖術の使い手もいる。ゴブリンより楽な相手と言ってもいい――これが、リアーネがこの依頼を選んだ理由だった。
「必要事項は伝えた。何か質問があれば、今のうちに訊いておこう」
 こういう時、代表としてやり取りするのがリーダーと決まっている。リアーネは口を開いた。
「まずは、首飾りの詳細をお願いします」
「サファイアと銀の首飾りだ。裏に鴉の意匠があしらってある。船長はあれを肌身離さず、身に着けていた。船長は片腕が鉤爪の男だから、見ればすぐにわかるだろう」
 そうなると、まずは船長室を目指すべきだろう。手分けせず回りきれる大きさの船だとよいが。
「船の大きさや構造を教えてください。船長室はどちらに?」
「クイーン・シャロン号は大型のガレー船だ。船体内部は二階層になっていて、各階にそれぞれ貨物室と寝室が配置されている。
 船長室はブリッジから降りて一番船首側にある。鍵がかかっていたら、蹴破るなりしてくれても構わんよ」
 さて、他には何を確認すべきだろう――リアーネが思考を巡らせていると、アルフレドが手を挙げた。
「確か、船はルーシュ湾沖合で発見されたんだったな。できるだけ詳細な場所を教えてほしいんだが」
「ここからは陸路で七十マイルほど離れた、柄杓湾の海上だ。岸からはそう遠くないから、海上での移動は三十分もかからないだろう」
「船内で何か気を付けることは? 後で船なり積み荷なりを回収するっていうなら、使う魔術も考えなきゃいけないからな」
「ふむ……」
 アルフレドの質問に、依頼人はしばし考え込んだ。
「死者を冒涜せんように、と言いたいところだが……亡霊に襲われながらでは、そうも言っていられまい。首飾りさえ回収してもらえれば、船の損壊や積み荷の安全は気にせず行動してくれて構わん」
 そこでふと、依頼人は目を伏せた。
「難破船のことだ、どうせ積み荷もほとんど棄てて何も残っておらんだろう……」
 ため息交じりのつぶやきには、それまでと違い、やるせなさが滲んでいた。だが、依頼人の切り替えは早かった。
「他には、何か?」
 リアーネは仲間たちに目配せした。アルフレドは無言で首を振った。シャルロットとティサは「大丈夫」というように頷き、ジャックは静かに目を伏せている。ステファノはといえば、珍しく押し黙っている。顔が若干青いように見えるのは、日陰にいるせいだろうか。
「……大丈夫です、もう質問することはありません。」
「結構。それではすぐにでも発ってくれ」
 依頼人は鷹揚に頷き、席を立った。
「差し支えなければ、仕事に戻らせてもらう。乗組員の遺族たちへの補償についても、考えねばならんのでね……」
「ええ。それでは、行って参ります」
 リアーネたちも席を立った。必要な道具は、ここに来るまでの道中で既に用意してある。
「あの船には私個人の友人たちも幾人となく眠っている。よろしく頼むよ……」
「もちろんです。お任せください」
 ――こうして『月虹』は、幽霊退治へ向かうこととなったのだ。


リプレイ元『アケロンの渡し』(制作:Niwatorry様)