アケロンの渡し


 依頼人のもとを経ってから二日。身分確認を終えた『月虹』は、依頼人が手配した小型船に乗り込んだ。
 波も風も穏やかで、船旅には絶好の日だった。いざ乗ってみると思っていた以上に揺れるが、ゆったりした潮騒が耳に心地いい。この分なら、酔わずに済みそうだ。
「おう。そっちの調子はどうだい?」
 船に乗ってしばらくすると、船頭が話しかけてきた。答えたのは、何度も船旅の経験があるティサだ。
「このくらい平気よ。冒険者は適応力が武器だもの」
「そりゃよかっ――おい兄さんたち、大丈夫か?」
「……うっぷ……」
 見れば、アルフレドは青白い顔でぐったりと座り込んでいる。眉間に皺をよせ、片手できつく口元を押さえていた。
「だ、大丈夫ですか、アルフレドさん」
「放っといてくれ、船酔いだ。……そのうち慣れる」
 リアーネが声をかけると、覇気のない返事が返ってきた。そう言われても心配は消えなかったが、もう一人、様子がおかしい人物がいた。
「その、ステファノさんは……どうしました?」
「ああクソ帰りてぇ今すぐ海に飛び込んでもいい……帰りてぇ……」
 彼はうつろな目をしてうつむき、ぶつぶつとつぶやいている。大剣をしっかりと抱えて言っているものだから、正直怖い。呪いでもかけられたようだ。そんな彼を見て、ティサがつぶやいた。
「もしかしてあなた、ゴーストが怖いの?」
「えっ、まさかそんな――」
「怖ぇに決まってんだろ!? だってオバケだぜ!?」
 ステファノが弾かれたように立ち上がり、吼えた。その横でアルフレドが「揺らすな……」と呻くのも構わず、大声で捲し立てる。
「あいつら体ないんだぜ!? 殴ろうが斬ろうがすり抜けるんだぞ、怖くねぇか!?」
「そういうものよ、ゴーストって。大抵は【亡者退散】一発で消えるわ」
「でもそれしか効かねぇんだろ、だから怖ぇんだって!」
 不毛な会話だった。やれやれと首を振ったティサが、ふと顔を上げた。
「……そうだわ、すり抜けると言えば」
「オイ無視すんなよ!?」
「ちょっと黙ってなさいよ。――ねぇアルフレド、亡霊は魔術による炎もすり抜けてしまうことが多いわよね。対策はしてあるの?」
「……あぁ、それなら」
「問題ないですよね。アルフレドさんは、浄化の炎の術が得意ですから」
 言ってしまってから、しまったと思った。気怠げに俯いていたアルフレドが、鋭く、深層まで暴こうとするようなあの眼差しで、リアーネを見ていた。
「俺、そこまで話してたか?」
「……してもらってませんが、私には、そう視えたので」
 再生能力が高い吸血鬼を灰になるまで焼き尽くせるのは、神聖な力を持つ炎だけと聞いている。そしてあの廃教会の時と同じ炎を、彼はゴブリン退治でも使っていた。本来必要ない相手にもそうしたのは、その方が彼にとっては自然だからだろう。
「よく視えている。これだから――」
 アルフレドは深いため息をついた。ややあって顔を上げた彼のまなざしは、やはり剣呑だった。
「俺は――俺の家系は、魔力で熾した炎が勝手に神聖な力を持つ。そういう一族だったんだよ」
「それってつまり、【炎の玉】を使っても除霊効果を持つってこと? とんでもない祝福じゃない」
 驚嘆するティサに、アルフレドは不満げに鼻を鳴らした。
「どうだか。俺は呪いだと思ってるけどな」
「……あなた、本当に発言には気をつけなさい? 一歩間違えば異端認定されるわよ」
「これでも教会とは仲良くやってるよ」
 アルフレドは億劫そうに、手をひらひら振った。その腰で細剣がきらりと光る。
「そういう訳だから、今回の依頼も問題ない。神聖な力まで弾かれたらお手上げだが、そんな異常事態は滅多にないからな」
「……いい? 仕事の、時間」
 見計らったように、するり、と音もなく寄ってきたのはジャックだ。彼が指さす先には、崩壊寸前の交易船があった。マストは折れ、甲板から上はほとんど無くなっている。
「よほどひどい嵐だったのね。穴だらけじゃない」
「今にも沈みそうな見た目してっけど、大丈夫かよ……」
「冒険者が溺死。……恰好つかない」
 ティサとステファノが眉を顰める横で、ジャックはどこからか鉤つきロープを取り出した。クイーン・シャロン号に向かってひょいと放り投げ、デッキに引っ掛ける。
「様子、見てくる。……合図するまで、待ってて」
「……そうだ、『合図』」
 言うが早いが、ジャックは躊躇なくするすると登りだした。それを見た船頭が慌てて何か取り出す。
「すまん、忘れるところだった。あんたらの仕事が終わったら、これで合図してくれ。俺は岸に船を停めて待ってるから」
「わかりました。貴方もお気をつけて」
 彼から渡されたのは『煌弾の書』だ。スクロールを荷物袋にしまったところで、ジャックが船上からひょいと顔を出した。
「一通り見た。とりあえず、安全。……だと思う」
「ちょっと不安を煽るような言い方をするな。わざとだろ」
 アルフレドの言葉に、ジャックは黙って肩をすくめた。二人は旧知の仲だと言っていたが、実際そのやり取りは気安いものだった。
「床板はほぼ無事。歩ける」
「わかりました。私たちも続きます」
「気をつけてな」
 船頭に見送られ、一行は船首へ上がった。甲板の上はごみや瓦礫が散乱し、一歩進むごとにぎいぎいと耳障りな音を立てた。
「……まずは、こっち」
 ジャックを先頭に、慎重に進む。まだ幽霊の姿はないが、淀んだ気配がうっすら感じられた。
「船は動きそうか?」
「駄目。壊れてるみたい。……あ、そこ」
「うぉあっ!?」
 ジャックが指さした瞬間、ステファノが床板を踏み抜いた。落ちることこそなかったが、足首まで嵌ってしまった。
「床板、腐りかけてる」
「もっと早く言えよ!」
 より一層慎重に足を運んでいくと、船尾楼が見えてきた。船室に降りる扉も二つ見えてきたが、片方はごみで埋もれている。
「どうする?」
 ジャックに問われ、仲間たちの視線がリアーネへ集中する。慣れない感覚に身を硬くしつつ、リアーネは答えた。
「……まずは、船尾楼に入ってみましょうか。船長がいるとは思えませんが」
 入ってみると、想像通り室内は酷く荒れていた。割れた酒瓶や皿があちこちに散らばっているのを見るに、どうやら食堂だったらしい。
「……ん、この瓶割れてない。中身もいい」
「持っていくか」
 アルフレドは流れるような動作で酒瓶を荷物袋に詰める。ついリアーネがじっと見ていると、彼は肩をすくめた。
「貰えるものは貰っておく。冒険者はそういうものだ」
「本当ですか?」
 少々釈然としないまま奥に進むと、嵐で食い破られたのか壁がごっそりとなくなっていた。床には血痕も残っているが、船員の姿は見当たらない。
「……幽霊も、いない?」
「日光が当たる場所では出てこれないんだろう。この下はわからないけどな」
 ジャックの言葉に、アルフレドがブーツの爪先でこつこつと床を叩く。――しかし、『月虹』の目的は下にある船長室だ。降りないわけにはいかない。
 船尾楼を出て、船内へ入る。途端にティサが眉を顰めた。
「……急に嫌な気配が増えたわね。私でも感知できるレベルだわ」
 暗く淀んだ空気は全員が感じ取っており、否が応でも緊張が高まる。こちらにも瓦礫が入ってきたようで、下層へ向かう階段が埋まっていた。
「とりあえず、船長室を目指そうぜ。たしか依頼人の話だと……」
「一番船首側の部屋、だったな」
「……近くに不死者がいるわ。数は三、慎重にね」
 ティサの言葉通り、廊下を進んだ途端、亡霊が現れた。ステファノが後退しながら吼える。
「……早速お出ましか! よし頼んだ魔術師コンビ!」
「威勢よくそれか……《炎よ飛べ、穿て、燃やせ》」
「《星よ奔れ、貫け》」
 先頭に出たリアーネとアルフレドがそれぞれ魔術を放つ。異変はすぐに表れた。
「は?」
「……え?」
 炎の弾丸も、星光の矢も、確かに亡霊に命中し――すり抜けた。亡霊たちはまったく怯むことなく、『月虹』に襲い掛かってくる。
「そんな、どうして――」
「おい下がれ!」
 硬直するリアーネの腕を、アルフレドが強く引いた。その直後、リアーネのいた場所に瓦礫が叩きつけられる。亡霊が怨念で持ち上げ、飛ばしたのだ。
「オイこいつら魔法効いてねぇぞ!?」
「わかってる、一旦退いて……」
「ダメ、後ろからも来てる!」
 シャルロットが悲鳴を上げた。彼女の言う通り、『月虹』を挟むように亡霊たちが続々と集まってきていた。動きは緩慢だが、このままでは亡者の群れに呑み込まれそうだ。
「……おいジャック! そこの扉は、」
「開いてる。入って」
「は、はい!」
 ジャックに手を引かれ、リアーネは船室に逃げ込んだ。続々と仲間たちも駆け込み、最後にアルフレドが乱暴にドアを蹴って閉める。
「……入ってこないな。ひとまず、大丈夫そうだ」
 その言葉にどっと全身の力が抜け、リアーネはその場に座り込んだ。全力疾走した直後のように心臓が暴れ、肺が焼けつくようだった。


リプレイ元『アケロンの渡し』(制作:Niwatorry様)