アケロンの渡し
*
『なあ、一昨日の夕飯覚えてるか?』
「寝惚けたことを……こっちですよ!」
リアーネはさっと身を翻し、廊下に飛び出した。引き寄せられるように飛んできた亡霊の中心に、ティサの振るった剣が突き刺さる。断末魔の一つも残さず、亡霊は消滅した。
「……少し慣れてきたわね。リアーネ、大丈夫?」
「ええ、何とか」
「次はあたしが囮だね。リアーネは後ろ戻ってて!」
シャルロットの言葉に甘え、リアーネは隊列の最後尾に移動した。
普段武器を振るうことがないリアーネやシャルロットには、ふわふわ漂う亡霊の霊核を的確に突くなど至難の業だ。そこで二人が交代で囮を務め、他の仲間たちがとどめを差すという作戦になった。思いの外走り回る羽目になり、リアーネは己の貧弱さを実感していた。残念なことに、船内は箒で飛び回るには少し狭いのだ。
「お前も杖に魔力を流して殴ったらどうだ? リーダーがへばったら世話ないぞ」
一人涼し気な顔をしているアルフレドが話しかけてきた。霊核を狙わずとも通じるわざを持っている彼は、幾分余裕があるらしい。気遣いかもしれないが皮肉交じりな言い方に、リアーネの声はつい尖る。
「これはおばあさまに作って頂いた杖なんです。だから、殴るのはちょっと嫌です」
「……まあ、無理強いはしないが。行くぞ」
そんな会話をしているうちに、前の四人が広い部屋に入っていく。リアーネたちも後を追うと、そこにはいくつもの椅子と窓が並んでいた。
「ここは……オール室ね。肝心のオールは見当たらないけど、ここから漕いで船を進めるのよ」
ティサが壁を指しながら説明してくれた。奥に進むと、漕ぎ手を寝かせるためのベッドと荷物が散らかっていた。
「……あ、干し魚」
「妙だな」
樽の中身を漁っていたジャックのつぶやきに、アルフレドが眉を顰めた。
「食料は足りてたのか。てっきり船員たちは餓死したと思ってたんだが、違うのか?」
「死体がなきゃ、わからない。――そもそも、わからなきゃ駄目?」
「それはそうなんだが、……気になるだろ?」
「ならない」
物騒なのか呑気なのか、いまいちわかりづらい会話だった。
「……とりあえず、ここは出ませんか」
「ん」
リアーネが言うと、ジャックは微かに頷いてさっさと部屋を出ていく。ついアルフレドを見やると、彼は黙って肩をすくめた。気にするな、という事らしい。
オール室を出て船首側へ向かう。程なくして、目的の船長室が見えてきた。
「鍵も罠もない。開ける」
ドアを調べてたジャックが、返事も待たずさっと開け放った。咄嗟に杖を強く握りしめたリアーネだったが、すぐに拍子抜けした。
「来てみたはいいが、遺体は見当たらないな」
「む……困りましたね」
半ば予想していたとはいえ、厄介な事態である。未だ船内の空気は、リアーネでもわかるほど禍々しい。ゴーストはかなりの数が残っているだろう。
「休憩をとりつつ、この船全体を洗いざらい調べてしかなさそうですね」
「だな。……とりあえず、ここも調べてみるか?」
「首飾りは、ない。手がかりも」
「仕事は早いんだよなお前」
今度はジャックが黙って肩をすくめた。
*
『捕まえたぞ、密航者め! 簀巻きにして海に投げ込んでやる!』
『畜生畜生畜生! なんでアタイたちがこんな目に!』
『よう兄弟、飲んでるかい…… って、なんだてめぇは!?』
一行は休憩を取りつつ、船内の探索を進めていた。死者たちの叫びを何度も投げつけられると、さすがに消耗してくる。
「……流石に妙ね。これだけゴーストがいるのに、死体が全く見当たらないわ」
廊下を進んでいると、ティサが低い声でつぶやいた。
「途中で、海に投げ捨てたんじゃねぇの?」
「それは……どうでしょうか。海に沈んだ死体からは、ゴーストは生まれにくいと言われてますから」
「ああ。吸血鬼が河を渡れないのと同様に、流水は死者の魂を押し流すとされている。ここが呪われた海域だったり、怨念がよほど強いなら別だが――」
リアーネとアルフレドの言葉に、ティサも頷く。
「じゃあやっぱり、遺体はこの船のどこかね。きっと船長もそこにいるんだわ」
「うえぇぇ……まだ終わんねぇのかよ……」
大袈裟に呻くステファノを宥めながら船内を回るが、遺体は見当たらない。やっと見つけた手掛かりは、貨物庫にあった。
「船長ではないな。……餓死したのか」
白骨化した遺体を見下ろし、アルフレドが嘆息する。ジャックは遺体が抱えていた手記を手にとり、ぱらぱらとめくり始める。
「……駄目。日記じゃなくて、数字と単語が書きつけてあるだけ」
「暗号か?」
「多分、違う。見て」
ジャックはアルフレドに手記を押し付ける。それに目を通しつつ、アルフレドがつぶやく。
「小麦3、船長に赤……これ、本人にしかわからないメモの類だな。大して重要なことは――おっと」
微かに船体が揺れ、アルフレドが踏鞴を踏む。床へ落ちた手帳は、末尾のページを一行に見せつけた。
みんな、にげてごめん
「……んだよこれ。気味悪ぃな」
ステファノが露骨に顔をしかめる横で、アルフレドは淡々と言った。
「この他に死体が見当たらないのも気になるな。集団で身投げでもしたのか?」
「笑えない冗談ですね。貴方もさっき言った通り、身投げなら亡霊がこの船に出ないでしょう?」
「そうなんだが……やっぱり、おかしいだろう」
アルフレドは眉を寄せ、口元を手にやる。彼の癖なのだろうか。
「食堂には血痕があったし、亡霊たちの言葉も妙だ。この船で、何かがあったのは間違いないんだ」
薄々予感していたことをはっきり言葉にされて、重い沈黙が下りた。そんな空気を振り払うように、リアーネは言った。
「この層は一通り見て回ったはずです。下に進みましょう」
*
『あいつめ、底に穴を空けやがった! 荷を捨てて船を軽くしろ! 甲板から乗り出しすぎるなよ!』
『よくもオレの弟分をやったな!! タダじゃ死んでやらねえぞ!』
「もう死んでんだろーが! くたばれ!」
亡霊を斬り払いながら下層に向かうと、早速奇妙なことが発覚した。階段を眺めながら、ジャックが淡々と言う。
「上からじゃわからなかった。……これ、埋めてる。それに」
下層へ降りる階段は二つ。その内一つは瓦礫で埋まっていたのではなく、誰かがわざと塞いでいたのだ。さらに、もう一つ問題があった。
「……やっぱり。浸水してる」
階段から少し通路を進むと、船体の底に大きな穴が開いているのがわかった。浸水がひどい箇所は壁がばらばらに砕け散り、移動するのも一苦労だ。
「今までよく沈まなかったわね。早く、天気が変わる前に仕事を終えないと」
「だな。……でも、おかげで探す場所も絞り込めた」
アルフレドが通路の先を指さす。今までよりもいっそう濃い、不浄の気配がした。全員準備が整っているのを確認し、飛び込む。
『――来たぞ! ここを死に場と心得ろ! バケモノどもに人間の誇りを見せてやろう!』
亡霊は五体。その中心にいる、ローブをまとった亡霊が吼えた。戸惑う間もなく飛んできた魔術を、リアーネは紙一重で避けた。
「このゴースト、魔法使いです!」
「リアーネ、頭下げろ! ――《沈黙せよ!》」
『グ……ッ!』
亡霊の喉元に、アルフレドの魔力を込めた突きが繰り出される。声を封じられて怯んだところに、ジャックの放ったナイフが幾本も突き刺さった。周囲の亡霊たちも、ステファノとティサ、シャルロットが連携して仕留めていく。瞬く間に、亡霊たちは消え去った。
「……船長らしいヤツはいなかったな」
「そうね。……多分、あの部屋だわ」
ティサの言葉に、一行は自然と通路の奥に目を向ける。探索していない部屋は、残り一つだ。
リプレイ元『アケロンの渡し』(制作:Niwatorry様)