アケロンの渡し
「……鍵がかかってるな。他は開いてたのに、どうして」
扉に手をかけたアルフレドが眉を顰めた。丹念に錠前を観察していたジャックがつぶやく。
「鍵、外からかけたみたい。……多分、これ」
ジャックが懐から鍵を取り出す。揺れる船内にもかかわらず、なぜか貨物庫に設置されていた振り子時計――その裏に隠されていた鍵だ。彼が鍵を差し込むと、扉はあっさり開いた。
「強大な負の力を感じます。――皆さん、準備はいいですか?」
リアーネは一行の顔を見回した。――疲労はある。だが、これが最後だ。力強い視線たちが返ってきて、リアーネは頷いた。
「……行きますよ!」
ノブを強く握り、開け放つ。中には、ぎらりと輝く剣を携えた亡霊が待ち構えていた。
『遅かったじゃないかね。いい加減、ワタシも待ちくたびれたところだ……!』
「くっ――!」
鋭い剣閃が走る。亡霊が操る剣をどうにか弾いたアルフレドが言った。
「お前、ただの船長じゃないだろ! 元海賊ってところか?」
亡霊は答えない。ただ剣を操り、襲い掛かってくる。――おそらくは、最期と同じように。
波打つ剣は縦横無尽に室内を飛び交い、『月虹』に牙を向く。避けるのに精いっぱいで、亡霊の隙を作ることができない。リアーネが歯噛みした瞬間だった。
「……あっ」
「シャルロット!」
些細な段差に足を取られたシャルロットが転ぶ。倒れ込んだ彼女に、亡霊の剣が振り下ろされ――
「させないわよ!」
ティサの剣が、亡霊の剣を弾き上げる。剣が遠く離れたその一瞬、確かに亡霊の動きが止まった。
「今よ!」
「おうよ! ……いい加減、消えやがれってんだ――!」
ステファノの咆哮が轟く。これ以上ない気迫が籠った一撃が、亡霊を両断した。
亡霊の身体が崩れ、消えていく。その途端、船内の不浄な気配が急速に薄れていった。体に血の気が戻り、魔力が満ちていく感覚に、リアーネはほっと息をついた。
「……今の亡霊が親玉、つまり船長だったようですね」
「そうだな。――ほら見ろ! これで魔術が使えるぞ!」
「罰当たりですよ!?」
アルフレドが足元に転がっていた遺骨を、魔力で持ち上げている。死体の両脚はずたずたにちぎれ、片腕は失われていた。もう片方の腕は鉄の鉤になっており、日記らしき本を大事そうに抱えている。
「それにしても、随分損壊しているな。今の戦闘のせいでは勿論ないだろうし……あっ」
アルフレドが遺骨を下ろすと、本の隙間から首飾りが落ちた。蒼い石に銀の台座とチェーン、拾い上げて確かめてみれば裏に烏の意匠もある。
「間違いなく、依頼の首飾りですね。……これで達成ですか」
「そうだな……」
すっきりしない。――そんな空気が満ちた。自然と、一行の視線は遺骨が抱えていた本に向く。
リアーネは日記を手にとった。真相があるとすれば、この中だ。
「読み上げますよ。……出港したのは、この辺りのはずです」
[聖北暦515年、末沃の4]
追い風、晴れ。
航海を始めて以来、幸い晴天に恵まれている。術師の談では、七日後に大嵐の徴あり。四日後の夜にペレスに停泊し、これをやり過ごす計画とす。
[聖北暦515年、末沃の5]
追い風、快晴。
万事すこぶる善し。新入りの船酔いも治った模様。酒宴に肉二、酒三樽を費した。
エドが海に黒い影を見たという。恐らくクジラだが、二、三日の間夜間の見張りを増やす。
[聖北暦515年、末沃の6]
夕刻、海魔の襲撃を受ける。
八名の死を確認。二名が甲板で行方知れず。帆柱に多大な損壊を認める。風力による航行は困難。
マークが漂流する女を見つけ、船室に運び込んだという。なぜそんなことを考えたのか想像もつかぬ。
海魔は海面からそう長くは離れられぬらしい。甲板と両舷櫂室での殺戮ののち、海に姿を消す。
[聖北暦515年、末沃の7]
人力による航行を行う。嵐も迫っている。一刻も早く、ペレスに辿りつかねばならぬ。
夕刻、喪った十名の葬儀を行った。皆、エシューから預かったこの上なく勇敢で優秀な船夫たちだった。
[聖北暦515年、末沃の8]
未明、海魔の強襲を受ける。四名死亡。船底に損壊を認む。
海魔は船底や船板にとりつき、壁を破って船員を襲った模様。葬儀の後で、酒を飲んだ者たちはみな復讐心と義侠心に昂ぶり、殺気立っている。
「……何か、破り捨てた跡があります。続きを読みますね」
船員はわずかに十名を残すのみ。帆柱は折れ、櫂と人手は失った。もはや帰港は難しかろう。
海魔は未だ階下を徘徊す。皆、一様に海魔を討ちたいという。術師曰く、海魔を仕留めれば帰港に一縷の望みがあるとか。
エシューには二度と剣を執らんといったが、あの男も、死に花を咲かせる位は許してくれるだろう。
「……この先は白紙です。つまり、」
「船が遭難したのは海魔に襲われたせい。船が嵐に襲われた時には、乗員はもう死んでいたんだろう」
「そんな……」
リアーネは目を伏せ、日記の表紙をなぞった。船長は、どんな思いでこの日記を綴ったのだろう。仲間を帰せなかった痛みとは、どれほどのものなのだろう。
「その日記は持ち帰った方がいいな。海魔が何だったのかはっきりしないのは気になるが……」
「それは依頼人に任せようぜ。とにかく、早く帰らせてくれ……」
精神力を使い切ったせいか、ステファノはぐったりと床に倒れ込んでいる。その横で、ジャックは亡霊が操っていた剣を調べていた。
「この剣、結構な業物。錆ひとつない」
「つっても、ゴーストの剣だろ? 呪われたりしねぇだろうな」
「ん……ちょっと貸してくれる?」
ティサはジャックから剣を受け取り、矯めつ眇めつ観察する。ややあって、顔を上げた。
「不浄な気配も嫌な魔力もないわ。持って帰ってもいいんじゃない?」
「では持ち帰りましょうか。形見になるかもしれません」
依頼人と船長は思ったより親しかったようだ。しかるべき手配をしてくれるだろう。
リプレイ元『アケロンの渡し』(制作:Niwatorry様)