アケロンの渡し

 樽の設置、時限発火装置の制作、スキュラの気を引くのに役立ちそうなものの確保――やるべきことはたくさんあった。一行は、手分けして準備を始めた。
「それで、お前は一体何を作ってるんだ?」
 せっせと調合に励んでいたリアーネに、アルフレドが胡乱げな目を向けてきた。
「何って薬ですよ。少しでもスキュラの動きを鈍くできるように」
「……毒じゃないか」
「薬です!」
 【鈍化の薬】――本来は傷病者の苦痛を和らげるための薬である。調合道具は持参していたし、足りない素材はアルフレドから分けてもらえたので、他にも色々とこの場で練成できた。
「くず魔石|トリンケット|を分けて頂けて助かりました。いつも持ち歩いてるんですか?」
「まあな。予め石に術式を刻んでおけば即座に発動できるし、魔力に余裕ができる。嗜みみたいなものだ」
「そういうものですか。……発火装置はどうなりました? 何か手伝うことがあれば――」
「いや、いい。術式はもう仕込んだし、樽の設置はジャックとステファノに任せた」
 船全体を効率よく爆破できるよう、樽は甲板、上層、下層に設置する。術者――この場合はアルフレドが船を離れると発火するよう、樽に魔法陣を書いてきたという。
「俺は少し休む。手が空いたなら、ティサやシャルロットを見てきたらどうだ」
 言うなり、アルフレドは壁に背を預けて座り込み、軽く目を伏せた。薄暗い船内では、その顔がよく見えない。
「……そうします。亡霊はもういないようですが、気をつけてくださいね」
 アルフレドはひらりと手を振った。さっさと行け、という事だろう。――なんだか、体よく追い払われた気がする。
「……リアーネ」
「はい?」
 だから、呼び止められた時は少し驚いた。扉に手をかけたまま振り返ると、彼は淡々と言う。
「責任の負い方を間違えるなよ。自分が犠牲になればなんて、思い上がりだ」
「……はい」
 淡々とした声音が、却ってずしりと胸に落ちた。彼の表情は、やはり窺えないままだった。

「……一通り見てきた。ゴーストなし、スキュラは動いてない、仕掛けも無事」
 音もなく、ジャックが甲板に上がってきた。これですべての準備が済み、全員が揃った。
「いよいよですね。皆さん、準備はいいですか?」
 全員が頷いたのを確認し、リアーネはスクロールを広げた。発動呪文|コマンドワード|を唱えると、空へ一直線に光弾が打ち上がる。――しばらくして、水平線の彼方から小舟の姿が目に見えてきた。
「そろそろだな」
「はい。……では、いきますよ」
 リアーネはナイフで指先を軽く切り、そっと息を吹きかけた。ぽたり、と零れた血のしずくが海面に落ちて、広がっていく。変化はすぐに起こった。
「流石は犬の――いや、妖魔の嗅覚。見事なものです」
 海面を割って、女と犬首の巨体が現れた。船の横にへばりついたかと思うと、俊敏な動作で外壁を登ってくる。
「リアーネ、下がって! ――《奴を運べよ春疾風、彼をおまえの船中へ、》」
 シャルロットが空へ呼びかけると、荒れ狂う風がスキュラに襲い掛かる。動きが一瞬止まったところへ畳みかけるように、リアーネたちは瓦礫や水を詰め込んだ樽を次々投げつけた。
「……なぁ、ビクともしねぇんだけど!?」
「だが確実に怯んでる。手を止めるなよ、注意を引き続けるんだ!」
「《急ぎここから運び出、》……きゃあっ!」
 歌に集中していたシャルロットの脇を、犬首がかすめた。混乱から立ち直ったスキュラはじりじりと這い上がり、甲板に乗り上げようとしていた。
「……ここは保たないわ! 皆、船首へ!」
 そう言って殿に躍り出たのはティサだ。構えた弓には、既に銀の矢がつがえられている。
「船内じゃ狭くて使えなかったけど、今なら――ふっ!」
 矢が次々に犬首の眼に突き刺さる。犬首たちは大きく口を開け、耳をつんざくような悲鳴を上げた。――今だ。リアーネは箒を取り出し、空へ舞い上がる。
「食らいなさいっ!」
 そして、【鈍化の薬】を入れた試験管を力いっぱい投げつけた。運よく首の一つがそれを飲み込むと、明らかに動きが鈍くなる。他の首や女性部分も、少し反応がぎこちなくなったようだ。
「……やっぱり毒じゃないか」
「違いますって! とにかく皆さん、走って!」
 スキュラの上を飛びながら、魔法の矢を撃ち込んでいく。仲間たちもそれぞれ適度に応戦しつつ、船首へ向けて走った。最初の突風と薬のおかげか、スキュラは追いすがるので精いっぱいのようだ。
「……リアーネ、そろそろ降りてこい!」
「わかってます!」
 船首と小舟は目の前だ。仲間たちが欄干の上を跳ぶのに合わせて、リアーネも箒から飛び降りた。体が重力に引かれて、落ちて、海へ吸い寄せられていく。背後で爆音が轟くのと同時に、全身を冷たい衝撃が包んだ。
 刹那、意識が飛びそうになる。重く纏わりつく水をかき分けるように、懸命に手を伸ばす。
「……っ、はぁ――っ」
 リアーネは水面に顔を出し、大きく息を吸い込んだ。――生きている。仲間たちも全員、無事のようだった。前方に目を向けると、小舟が慌ててこちらに近づいてくるのが見えた。
 スキュラと船はどうなったのだろう――慌てて振り返ったリアーネの目に映ったのは、ごうごうと燃え盛りながら崩れていく交易船だった。距離があるのに顔が熱気であぶられる。慌てて迎えの舟に向かって泳ぎ始めたリアーネの背中に、何かが当たった。
「おやまあ、これは……」
 それは、焼け焦げたスキュラの犬首だった。全身が真っ黒な煤に覆われ、あれほど鋭かった眼からは光が失われている。耳や首の根元はほとんど原型をとどめておらず、まず息を吹き返すことはないだろう。
「おーい、あんたら大丈夫か!?」
 仲間たちを引き上げながら、船頭が聞いてくる。燃える船とリアーネたちの双方に忙しなく視線をやり、悲鳴寸前の声を上げる。
「何なんだこの騒ぎは! 船に火を放つなんて聞いちゃいないぞ!?」
「それはまあ、いろいろあってな……」
 行きのようにぐったりと座り込みつつ、アルフレドが答えた。全員が船に上がったのを確認し、船頭が言った。
「色々あったみたいだが、これだけは教えてくれ。――仕事は、成功したのか?」
「それは勿論。どうぞ」
「……お、おお! 間違いない、船長のだ!」
 リアーネが懐から首飾りを出して見せると、船頭の顔がぱっと明るくなった。
「ねえ、そういえばスキュラは?」
「大丈夫だと思いますよ。ほら」
 シャルロットの質問に、今度は先程の犬首を見せてみる。船頭含む一行の顔が引きつった。
「わ、わあ……すごい威力」
「海軍御用達も納得です。おかげで命拾いしました」
「そうだ皆、さっきの爆発で目や耳が利かなくなったりしてない? 応急処置ぐらいならできるわよ」
 ティサとリアーネで手分けして仲間の様子を確認する。幸い爆発に巻き込まれた者はいないようだった。簡単な処置だけで済ませたところで、焦れたように船頭が声を上げた。
「なあ、そろそろ教えてくれないか? 一体あの船で何があったんんだ」
「そうですね。実は、とんでもない化け物に遭ってしまいまして――何だと思います?」
「何って、そんな……ひいっ!」
 リアーネの背後で何かが蠢く。船頭は今度こそ悲鳴を上げた。
「……おいリアーネ、ご来賓だ」
「わかってます。……まったく、ヒントはお呼びじゃないんですよ!」
 振り返れば、そこにはスキュラが――正しくは、その残骸がいた。犬の首はすべて千切れ、全身が焼き爛れている。それでも、女性の目は殺意を宿していた。すさまじい執念だ。
「お、おい! ど、どうしたらいいんだ!?」
 震えながらもどうにか立ち上がった船頭に、ステファノが淡々と答える。
「アタマ下げて引っ込んでろ。絶対アレに背を向けるな、動きを目で追い続けろ。それから……」
「それから!?」
 そこでステファノは、にぃと笑った。爛々と目を輝かせ、まるで狂鬼のように。
「ハハッ……悪ぃな、こっから先は俺も勉強中さ!」
「はっ……はぁぁぁ??!」
 ステファノと船頭の愉快なやり取りの間、リアーネはざっと辺りを見回した。――船は追い風、帆は張ってある。スキュラは船尾にいてもう虫の息だ。……ならば、勝機はある。ここが踏ん張りどころだ。
「――皆さん! 奴は死に体です、全力でかかれば押し戻せます!」
 腹に力を籠め、声を張り上げる。全身の隅々まで魔力が漲り、燃えるように熱くなっていた。
「足止めなんて考えないで、ここで仕留めます! ――シャルロット、風精を呼んで!」
「う、うん! いくよ……!」
 シャルロットが歌い始めると、風が強くなってきた。船頭の奮闘もあって、船はみるみるスピードを出し始める。スキュラは辛うじて残っていた首の根元を船に絡ませ、縋ってくるが、今にも外れそうだ。
「ハッ! ようやく存分にやりあえるってもんだ!」
 ステファノが一歩踏み込み、力強く大剣を振るう。女性部分の胴体をざっくり薙ぐと、どす黒い血が噴き出した。間髪入れず、スキュラの全身に鋼糸が巻き付く。
「こっちまで壊されたら、困る。……あとは、任せた」
 鋼糸を操りながらジャックが言う。スキュラはどうにか逃れようともがいているが、ほとんど動けていない。リアーネは大きく踏み出し、スキュラの正面に向かった。
「……いい加減、くたばりなさい! 《星よ奔れ、貫け!》」
 勢いのまま、ごく間近から魔力の矢を撃ち込む。スキュラの胴体に大きな穴が開き、崩れ落ちようとして――眼前で、火球が膨らむ。
「え?」
「リアーネ、伏せろ!」
 考える暇はなかった。即座に床に伏せ、頭を腕で庇う。――再び轟音が響き渡り、熱風が背中をかすめた。
「……アケロンの渡し賃だ。取っておきな」
 甲高い断末魔が響き渡る中、静かに告げたのはアルフレドだった。
 リアーネがおそるおそる顔を上げると、アルフレドが船尾から身を乗り出し、海面を覗き込んでいた。――数秒の後、彼は振り返って一行にこくりと頷く。
「や……」
「やったぁー……!」
 一行は、一様に力のない声を上げてへたり込んだ。商船に悪夢を齎した海魔は、とうとう斃れたのだ。
「お、おい、もう大丈夫なのか? 船は吹き飛んでるし、変なバケモノは出てくるし、俺にはもう何が何だか……」
「――そうだな。さしずめ、冒険者の世界に『楽な仕事』なんてない、ってところかな」
「……い、いやいや! ちょっと待ってください、アルフレドさん! 最後のアレは何です!?」
 リアーネが詰め寄ると、アルフレドは露骨に視線をそらした。
「……今は、ひとまず休むべきじゃないか?」
「それは許しません、説明してください」
「スキュラが最後の力で【炎の玉】を放とうとした、だから火薬を投げ込んで間近で暴発させた。以上」
「……火薬持ち帰ってたんですね!? 本当は何に使うつもりだったんです!?」
「まあ、そう怒るな。助かっただろう?」
「うっ……それは、ありがとうございます」
「じゃあこの話はこれで終わりだ。な、リアーネ」
 アルフレドは爽やかに笑って言い放った。リアーネは唇を噛みしめながら思った。――『いけすかない』という言葉は、彼のためにあるのだ。
(……このひと、やっぱり変です! 信用できません!)
 自他ともに認めるお人好しなリアーネにとって、人生で初めての感情だった。
 そしてそれは、今後も増えていくことになるのだった。


リプレイ元『アケロンの渡し』(制作:Niwatorry様)