転がす銀貨

 アルフレドの受難は、ある男の言葉から始まった。
「貴方様に、これを、預かっております……どうぞ中を見るのは後にしてください」
 ぼそぼそと言いながら、ボーイが小さな封筒を差し出してきた。差出人の表記はない。明かりに透かしてみると、中に二つ折りの紙が入っていることだけがわかった。おそらく手紙だろうが、アルフレドにはまるで心当たりがない。
「誰からだ?」
「……口止め料を、もらっておりますので」
 アルフレドの問いに、ボーイは唾を飲み込みながら答える。会場に流れる優美な音楽や人々の話し声でかき消されてしまいそうな、小さな声だった。それに苛立ちを覚えつつ、アルフレドは一歩踏み込んだ。
「いくらだ? それより多く出そう」
 ほんの一瞬、ボーイは目を瞠った。だがすぐにうつむき、おそるおそる指を動かす。
「……200ほど」
 一体何に怯えているのか、ボーイはしきりに周囲に視線をやり、腰の前で重ねた両手を盛んに擦っている。その態度が、アルフレドの警戒心をいやでも煽りたてた。
「では300出そう。教えてくれるな?」
 返事を待たずに、ボーイの両手に銀貨を握らせる。するとあっさり、差出人の名前が告げられた。
 それは、アルフレドがよく知る人物の名前だった。
*
「おい」
「うん?」
 会場を出てバルコニーに向かえば、見慣れた後姿があった。名を呼ばずとも、封筒の差出人――ジャックが振り向く。無造作に伸ばしては切られた灰色の髪と、着古した外套で隠されてはいるが、無駄に整った顔立ちをしている。長い睫毛に縁どられた紫の瞳に、高く通った鼻筋、薄い唇――希代の彫像家が緻密に彫り上げたような、中性的な容貌だ。
 だが今その顔に浮かぶ表情は、たった今起きましたと言わんばかりにぼんやりしたもので、アルフレドの両肩は下がる。眉根は寄る。声は尖りに尖った。
「素知らぬ顔をするな。なんだって200spも払って口止めなんかしたんだ」
「……200。結構、ふっかけられた」
 ジャックは首を傾げ、呆れたように息を吐く。
「俺は1spも出してない」
「……は?」
 ――何を言い出すんだ、こいつ。
「差出人を聞かれたら、口止め料を貰っていると答える……そうしたら、小銭が手に入るかも。そう言っただけ」
 ――何言ってんだ、コイツ。
「……はあああ!? そのせいで、俺は、300spを……!?」
 この野郎! ――アルフレドの脳内で、ぶちりと切れる音がした。
 300spは決して小さな額ではない。リューンで一晩飲み明かすこともできるし、触媒用の宝石だって新調できた。魔術というのは案外金を食うのだ。これは一発は殴らんと気が済まないと、アルフレドは拳を握り締める。その勢いのまま、一歩詰め寄ろうとし――
「あのボーイ。これに味をしめたら、破滅するね」
 ジャックはふわりと微笑んだ。あまりにも、邪気のない顔だった。さっき道端できれいな花を見つけた――そんなささやかな幸福を語るような顔で、他人が堕ちる未来を語る。
(そんなことあるか? 通りすがりの、些細な一言だけで?)
 確かに、冒険者にあれほどふっかけた卑しい男ならそんな未来もありうる。ジャックの入れ知恵がなくとも――
(……いや、)
 嘲うと言うには、あまりに純粋で無邪気な表情に、声色。
 普段は像のように無表情なくせに、ジャックは時々こんな顔をする。ただの思いつきの一言でひとを破滅へ誘うには、十分すぎる。〝そういうもの〟なのだ。
(……本当に、こいつというやつは)
 そしてアルフレドは、その片棒を担がされてしまったわけだ。
 再び肩の力が抜ける。怒りはもう消えていた。ボーイの行く末などどうだっていいし、ジャックに今更道理を説く気はない。残ったのは、銀貨を追いかけ転がり落ちていくであろう男への、ささやかな哀れみだけだ。
 運が悪かった。あのボーイも、たぶんアルフレドも。
「で、どうしたの」
「……何でもない。もう、こんなくだらない悪戯すんなよ」
 アルフレドは拳を開き、ひらひらと振って汗を乾かした。それが面白かったのか、ジャックは歯を見せて笑った。
 ――すっかり気勢が削がれたところで、アルフレドは用事を思い出した。
「なぁ。こんなことするぐらい暇なら、一つ仕事してけよ」
 ジャックは小さく目を瞬かせた後、黙って頷いた。アルフレドも黙って踵を返すと、彼は静かについてくる。向かう先は、黄昏の鳥亭だ。
「おう、おかえり。そっちは友達か?」
 昼のピークを終えた宿に入ると、亭主がにこやかに迎えてくれた。アルフレドが答える前に、ジャックが口を開く。
「いや、相棒」
「今日いち冴えてる冗談だな。――腐れ縁だよ、盗賊の」
 亭主はわずかに目を瞠ってから、「そうか」となぜか苦笑した。その表情が、前の宿で世話になった冒険者たちを思い出させ、むず痒くなる。
「親父さん。こないだの宝箱、出してくれるか?」
 誤魔化すように言いながら、カウンター席に腰掛ける。ジャックも物音ひとつ立てず、隣に座った。彼は本来、必要あることさえ喋らないほど無口だ。
「こないだのゴブリン討伐で見つけたんだが、解錠できるやつがいなくて手つかずなんだ。できるか?」
「ん……」
 亭主から宝箱を受け取ったジャックは、箱を床に下ろし、しばし観察していた。懐から解錠用の針金を取り出し、すっと錠に差し込む。
「……できた」
 針金を細かく動かすこと数度、かちり、と小気味いい音がした。箱を開くと、中には薄汚れた巾着袋と古い杖が入っていた。
「〝賢者の杖〟か。状態もいいな」
「こっちは、200sp」
「あっこら、やめろ!」
 アルフレドが杖を確かめてる間に、ジャックは巾着袋に手を伸ばしていた。亭主にも手伝ってもらい数えたが、確かに中身は銀貨二百枚だった。
「なかなか掘り出し物じゃないか。賢者の杖なんて貴重品だぞ」
 亭主は満足げだが、アルフレドには無用の長物だった。リアーネもよく手入れされたヤドリギの杖を持っていたから同様だろう。しばらくはしまっておく他なさそうだ。銀貨の方は、後で四人が集まってから等分するべきだろう。
「ね、俺、お金もらえる?」
「馬鹿言え、俺への迷惑料だろ」
「……」
「わかった。珈琲ぐらいは奢ってやる。……親父さん、珈琲二杯頼むよ」
 ジャックが恨めし気に見てくるので、早々にアルフレドは注文してやった。すぐにカップ二つが運ばれてくる。
「それでジャック、お前、しばらく暇なのか?」
「ん、多分」
 ジャックはこちらには目もくれず、せっせとカップに砂糖とミルクを注いでいく。中身は既に白に近い液体になっており、珈琲とはとても呼べない。
 アルフレドはスプーンを手に取り、特に何も入れていないが、珈琲をくるりとかき混ぜる。無駄な行為で稼げる時間など、大したことないのだが。
「なら、少しうちのパーティに入ってみないか。気に入らなければ短期でも――」
「いいよ」
「うん?」
 想定外だ。驚いてアルフレドが顔を上げると、ジャックもまた、アルフレドをじっと見ていた。
「いいよ、入る。面白そうだから」
「……どういう風の吹き回しだ。お前の即答なんて恐ろしい」
「それは、君こそ。どうしてパーティなんて」
 アルフレドはここ数年、ソロで活動してきた。だが実力があっても、アルフレド向きの依頼であっても、依頼人のほうがソロを避けることはよくある。だから、『月虹』の立ち上げに加わった――そう言えばいいだけだが、言いたくなかった。
「別に、なんだっていいだろ。お前はどうしてなんだ」
 アルフレドの誤魔化しに、ジャックは薄く笑った。先程と違い、ちょっぴり邪気を含んでいた。
「君が随分入れ込んでる〝リアーネ〟、知りたくなった。面白そう」
 アルフレドは、静かに息を吸った。そしてカップを傾け、珈琲を一口。程よい苦みと酸味が、乱れた心を落ち着けてくれる。
「……待て、待ちやがれジャック。お前、なんでその名前を知ってる?」
「俺の本職は、盗賊だから」
「答えになってない。吐け、誰に聞いた……いや見てたのか!?」
「ご想像にお任せする」
 ジャックの襟を掴んで揺さぶってみたが、彼は涼し気に笑うだけだ。……本当に、小憎たらしい。本日二度目の脱力が襲ってきて、アルフレドはぐったりと天井を見上げた。
「どうして俺には、盗賊のツテがこれしかないんだろうな」
「〝淑女〟がいる。そっちにする?」
「しねぇよ盗賊ギルドの幹部なんて! 厄介ごとを増やしてどうする!」
 ――その後集まった『月虹』メンバーにジャックを紹介したところ、彼の加入は大いに歓迎された。されてしまった。『宝箱の解錠』という実績があるのだから、当然だった。
「君、随分愉快になったな」
「……くそったれが」
 ジャックはやはり楽し気に笑い、アルフレドは毒づいた。


リプレイ元シナリオ『転がす銀貨』(制作:禄山 様)