ゴブリンの洞窟
――走っている。その夢はいつも、そうして始まる。
重くまとわりつくような暗闇の中を、リアーネは必死に駆けていた。早く、早く行かなければ――頭の中にあるのはそれだけだった。等間隔で掲げられた灯火は頼りなく揺らめき、通路の果ては見通せない。頼りになるのは奥から響く剣劇の音だけだったが、それがリアーネの焦燥を一層煽った。
ようやく通路が終わる。錆びついた扉を勢いのまま開け放つと、そこは広い霊廟だった。壁の円周に沿うように、ぐるりと石棺が並んでいる。なぜか棺には燃えさかる剣が刺さっていて、室内は思いの外明るい。そしてその中央で、二人の男性がそれぞれの武器を振るっていた。
一人は若い青年だった。細剣による鋭い一撃は躱されるも、間髪入れずに放った炎の弾丸が相対する男の肩を貫く。――しかし、その傷は瞬く間に再生してしまう。青年の舌打ちが聞こえた。
もう一人は壮年の男だった。異様に青ざめた肌に鋭い牙、暗赤色の瞳は淀み、生気がまるで感じられない。掲げた大鎌の刃はぼろぼろだが、炎を反射してぎらりと光った。見た目だけで判断できるものではないはずだが、リアーネはそれが吸血鬼だと知っていた。
「*****!」
荒い息のまま、リアーネは青年の名を呼んだ。ずっと探していたひとの名前だ。だが彼は振り返らない。――代わりに、吸血鬼の男がぴたりと止まった。
「……*****?」
ぼんやりと、名前をつぶやく。*****、ともう一度繰り返して数秒の後、かっと目が見開かれた。
「貴様、そうか貴様は――貴様さえいなければ――!」
それは苛烈な殺意だった。陰っていた瞳が憎悪に燃え上がり、男が持っていた大鎌もどす黒い炎に染まる。
「……ッ!」
青年は息を呑み、一歩身を引く。だが遅かった。黒炎に包まれた大鎌が、青年の胸を深々と切り裂いた。ぱっと鮮血が散り、青年の身体がぐらりと傾いだ。間に合わない――遠すぎる距離にリアーネが唇を噛みしめた瞬間、青年のつぶやきが聞こえた。
「……どうせこうなるんだ。ざまぁみろ、******」
そして勢いよく、白い炎が上がった。炎は青年と吸血鬼を包み、燃やし尽くそうとする。
「こ、の……どこまでも、小癪な奴め――!」
怨嗟の声を上げる吸血鬼に、青年は笑った。彼は炎の中にいるのに、リアーネにはその表情がなぜかくっきりと見えた。男を嘲笑うようであり、同時に酷く安心したようでもあった。その表情に胸を抉られ、リアーネは再び叫んでいた。届かないと知っていて、手を伸ばした。
「――!」
知っているはずの名前は、聞き取れなかった。
そして夢は、いつもここで終わる。
*
「……っ!」
まっさらな朝日が部屋を満たしていく。そのまぶしさで、リアーネは目を開けた。階下から漂う香ばしい匂い、ぱたぱたと駆け回る誰かの足音――街が目覚めていく気配に、まだ少し気だるい身体を起こす。同時に、部屋のドアが開かれた。
「おっはようリアーネ! 今日もいい天気だよ」
「……シャルロット。おはようございます」
淡い金の髪をやわらかく揺らして笑いかけるのは、一緒にリューンへやってきた親友だった。農村出身の彼女はいつも早起きで、小さな体をくるくると動かしてよく働く。
「珍しくお寝坊さんだね。星を見てたの?」
「まぁ、そんなところです」
服を着替えながら曖昧に頷く。秘密にしたい訳ではないが、どうにも説明しづらい。シャルロットは「ふぅん……?」と首を傾げたが、追及はしてこなかった。
(……一体何なのでしょう、今の夢は)
あの夢を見るのは、実は初めてではない。
幼い頃からおかしな夢はいくつも見てきたが、中でもとびきり苦しくなるのがあの夢だった。こうして思い返している間にも、こぼれるように夢は朧げになっていく。それでも今朝は、手がかりが一つだけある。
髪をとかして一つに結わえる。身支度を終えて立ち上がると、毛布にもぐりこんでいたノチェも床に降り立った。二人と一匹で一階へ向かう。
「おう、リアーネも起きたか。おはよう」
「おはようございます、親父さん」
食堂に入ると、厨房から亭主が顔を出してきた。磨き上げられた頭は今日もまぶしく光っている。
「悪いが、どっちか牛乳を買いに行ってくれんか? 昨日買い忘れたみたいだ」
「じゃああたしが行く!」
「気をつけてくださいね」
「大丈夫だよ。リアーネは心配性だなぁ」
シャルロットは少しむくれてみせながら、亭主から財布を受け取る。軽やかに宿を出る背中を見送って、リアーネは箒を手に取った。
「親父さん、私は表を掃除してきますね」
「すまんな。シャルロットが戻ったら朝飯にしよう」
外へ出ると、周りの店も開店準備を始めたところらしい。すっかり顔見知りになった店員たちと挨拶を交わしながら、石畳の土埃をせっせと掃いていく。澄んだ空気が色づき、賑やかになっていく都市の朝を、リアーネは気に入っていた。
こんなものかと掃除を終えようとしたとき、こちらへまっすぐ向かってくる足音が聞こえた。リアーネはドアから手を離し、振り返った。
「すみません、開店までまだ――」
あ、と声が零れた。日差しに少し目を細めながら、彼が口を開く。
「お前、冒険者じゃなくて給仕だったのか?」
皮肉交じりにそう問いかけてきたのは、紛れもなく昨夜の青年だった。
「……まだ、名乗っていませんでしたね。リアーネと申します」
きっといつも通の声を出せたはずだ。こうして間近で見て、確信した。
「俺はアルフレド。今日から黄昏の鳥亭に世話になる」
リアーネが見た夢に出てきた青年は、間違いなく彼だ。
やっと、貴方の名前を知ることができた。
*
リアーネたちが暮らす『黄昏の鳥亭』は、リューンの冒険者ギルド設立時から加盟している老舗である。冒険者の育成に力を入れており、堅実な仕事ぶりからリューン市民たちに頼りにされる宿だ――数か月前までは。
「それじゃ、今この宿にはほとんど冒険者がいないのか?」
「ああ。時機ってのは重なるもんだなぁ」
「そうか。……これはちょっと、想定外だったな」
アルフレドは悩まし気に眉をひそめる。朝日の下で見る彼は、昨夜とはまるで違う印象だった。触れれば斬れそうな鋭さはなく、むしろ爽やかで親しみやすそうだ。
「怪我でやめたやつ、自警団に引き抜かれたやつ、結婚するってやつもいたな……すっかり寂しくなってしまった」
「夕星の槍亭も似たようなもんだよ。やめる時はパーティ全員ってところも多いからな」
リアーネは何を話せばいいかわからず、亭主とアルフレドの会話をただ聞いていた。二人はつい先ほど顔を合わせたばかりだというのに、そのやり取りは淀みない。知らない人が見れば旧知の仲だと思うだろう。シャルロットも同じ気持ちのようで、ちらちらと二人に目を向けつつも黙りこくっていた。
「親父さんも大変だろう。受けられる依頼は限られてるし、指導役もいない」
「まぁな……今は薬師ギルドから仕事を回してもらってるよ。そこのリアーネは調合が得意でな、高級傷薬並みの評価を受けてる」
「へぇ、すごいじゃないか」
すっとアルフレドの視線が向けられる。口では感嘆しつつも、眼差しには昨夜と同じ鋭さが垣間見える。リアーネの奥底まで見通そうとするようだった。
「故郷では、薬師として働いていたので。……あまり、冒険者らしくはないですけど」
「そう焦るなよ。駆け出しなんてそんなものさ」
ほんのちょっとした仕返しは、あっさり躱されてしまった。リアーネを励ますように笑う彼にこれ以上噛みつく訳にもいかず、言葉を呑み込む。
「でもまぁ、ツケが増えていくのは怖いからな。今何か、めぼしい依頼は――」
おどけた様に言って、アルフレドは壁の掲示板へ目を向けた。つられるように、リアーネも掲示板を見上げる。そこには、張り紙が一枚。
「おや、その貼り紙に興味が――」
「何だお前ら、その依頼受けんのか!?」
食堂の隅々までよく響く、快活な声が割り入った。声の主は、リアーネは何度か顔を合わせたことがある相手だった。
「ちょうどいいな。オレもその依頼受けようとしたんだけどよ、親父にソロじゃ駄目だって言われてたんだ」
「……いや待て、誰だお前」
アルフレドは一瞬呑まれていたようだが、すぐに立ち直って問うた。対する大柄な青年は溌剌と笑い、背負っていた大剣を軽く掲げて見せた。
「オレはステファノ。見ての通り剣士だ。お前は?」
「アルフレド。一応魔術と剣、両方使える」
「へぇ、器用じゃねぇか。二人とは知り合いか?」
アルフレドと視線がかち合う。ほんの一瞬、互いを探り合うようなぎこちない空気が流れた。
「そういう訳では無いな。……それで親父さん、この依頼は?」
「町はずれの農家からの依頼だな。近くの洞窟にゴブリンが棲みついたんで、退治してほしいんだとさ」
「報酬は」
「600spだ。四人なら十分だろうし、悪くない依頼だと思うぞ。どうだ?」
亭主がステファノ、アルフレド、リアーネ、シャルロットの四人を順にぐるりと見回した。ステファノは不敵な笑みを作って答える。
「ちっとばかし安い気もするけどよ、まぁいいぜ。早く行かせてくれよ」
「ゴブリン退治なら経験もある。やるよ」
「私も構いませんよ。シャルロット、どうですか?」
「ふぇ!? ……うん、いいと思うよ。あたしも行く」
シャルロットは残っていたパンの欠片を慌てて押し込み、頷く。空いていた片手でスカートの裾をぎゅっと握ったのを、リアーネは見逃さなかった。
「そうこなくちゃな。――ほれ、これが洞窟の場所だ。しっかり準備していけよ」
亭主は満足そうに頷き、地図を差し出す。さっとその地図を受け取ったステファノが宣言した。
「よーしお前ら! やるぞ!」
リプレイ元『ゴブリンの洞窟』(制作:齋藤洋 様)