ゴブリンの洞窟
*
件の洞窟があるという森に入ってしばらく歩いた頃、アルフレドが口火を切った。
「もうそろそろ本番だな。その前に、互いの手札を確認しておきたいんだが」
「手札っつってもな、俺は叩っ斬ることしかできねぇぞ?」
「……単純だな。その剣、壁にぶつけないように気をつけろよ」
「わかってるっつーの! ――シャルロットは吟遊詩人だったよな?」
ステファノは憮然として見せたが、すぐに切り替える。突然話題にあげられたシャルロットは、慌てて竪琴を取り出した。
「う、うん。あ、あたし、歌と演奏は得意なの。精霊さんたちも力を貸してくれるんだ」
「可愛らしい声してるもんなぁ、精霊が気に入るのもわかるぜ」
「……えへへ、ありがと」
ステファノに褒められ、シャルロットはこわばっていた頬を緩ませた。一方、アルフレドは冷静に問いを重ねる。
「精霊術師なんて珍しいな。相性がいい精霊は?」
「水精と風精かな。癒しのわざなら、ちょっと自信あるよ」
シャルロットはえっへんと胸を張った。神官も医術師もいない僻地の村でどれだけ彼女が人を救ってきたか、リアーネはよく知っている。
「リアーネは――そういえば、昨夜の猫は?」
「ノチェなら宿の警護です。戦闘向きではありませんが、泥棒程度なら軽く捻りますから」
黄昏の鳥亭の裏手にはこじんまりとした畑があり、リアーネはその一部を借りていくつか薬草を育てていた。扱い方次第では猛毒になるものもあるので、普段はノチェに見張ってもらっている。最初は宿に住む精霊たちと喧嘩しないか心配だったが、どうやらうまくやっているらしい。
「そうか、便利なものだな。魔術は賢者の塔で?」
「いえ。祖母や母……郷の皆さんからも教わりました」
「郷の皆?」
アルフレドが面食らった顔をしたのを見て、リアーネは己の失言に気づいた。
「そんな魔術師だらけのとこあるのか。すげぇな!」
「……ええと」
ステファノが無邪気に言うので、リアーネは口ごもってしまった。そう遠くない昔、魔法はごく一部の人のみが扱えるわざだった。その〝ごく一部〟がどんな目に遭ってきたか、リアーネは我が身をもって知っている。
(……いえ、それは過去のことです)
リアーネはうつむきかけた顔を上げる。これから背中を預け合って戦うのだ。隠し事はいけない。
「その――私が住んでいた郷は、『魔女の郷』なんです」
「あたしも精霊術を教えてもらったんだ。みんないいひとだよ!」
「……ああ、そういうことか」
その説明だけで、アルフレドはおおよその事情を把握したらしい。軽く頷き、話は終わりだと言わんばかりに歩き始める。
「いや待て、お前らだけで納得すんな! 何だったんだよ今の!」
「わからないならわからないままでいい。そういう類の話だ」
ステファノが騒ぐが、さらりと流された。少し申し訳ない気持ちになりながら、リアーネも二人の後を追う。――すると突然、アルフレドが足を止めた。ステファノの襟首をつかみ、さっと身をかがめる。
「……見ろ。到着だ」
リアーネとシャルロットも藪の影に隠れ、そっと前方を窺った。アルフレドが指す先にはゴブリンが一体。その背後の岩肌には、ぽっかりと穴が開いている。ここが件の洞窟らしい。
「見張りですか」
「ああ。これは、ちょっと厄介かもしれない」
「何でだよ、あんなのオレがす――ぐぇっ!」
ステファノが勢いよく飛び出そうとしたが、再び襟首を掴まれて引き戻される。藪ががさりと音をたてたが、幸いゴブリンは気づかなかったようだ。
「何すんだよ!」
「それはこっちのセリフだ。いいか、あれは見張りだぞ?」
小声で元気よく抗議するステファノに対し、アルフレドはぴしゃりと言った。その端正な顔は険しい。
「ゴブリン全部が馬鹿って訳じゃない。この様子だと、シャーマン辺りはいそうだな」
リアーネは恩人の言葉を思い出した。
『いい、リアーネ? ゴブリンをただの低級妖魔と思っちゃいけないわよ。特にゴブリンシャーマン、キングなんかの上位個体に率いられた群れは最悪ね。駆け出し冒険者を最も殺してきたのは、ゴブリンなのよ』
冒険者になりたい、と彼女に告げた時、真っ先に言われたことだ。今、彼女はどこを旅しているのだろう――リアーネがついそんな事を考えていると、ステファノが焦れた様に言う。
「じゃあどうしろってんだよ? ここでじっとしてらんねぇぞ」
「こうするんだよ」
言うが早いが、アルフレドの指先に炎が灯る。炎は弾丸となり、まっすぐゴブリンへ飛んでいった。
「ギ……ッ!?」
断末魔は、ごく小さいものだった。燃える弾丸が瞬く間にゴブリンを呑み込み、ほんの数秒で消し炭へ変えてしまったからだ。すさまじい火力だ。
「ご覧の通り、俺の専門は炎魔術だ。生物相手にも結構効く」
「……お前、意外と派手だな」
「そうか? ――さっさと行くぞ」
遺体には目もくれず、アルフレドは洞窟へ足を進める。「待てよ!」とステファノがそれを追いかけ、リアーネも続こうとした。
「――シャルロット?」
先程からずっと黙りこくっていた親友を振り返る。じっとゴブリンの遺体を見ていたシャルロットは、弾かれたように顔をあげた。
「な、何でもないよ! 行こっか」
「……ええ」
洞窟の入り口では、青年二人が待っている。胸がざわつくのを感じながら、リアーネは歩きだした。
――そんな一行を、木陰から密かに見る目があったことに誰も気付かなかった。
*
洞窟の中は暗く、窮屈だった。空気は重く淀み、むわりと腐臭がする。そこかしこからゴブリンたちの息遣いが感じられるが、まだ遠いようだった。
「俺が灯りを。――《灯せ》」
アルフレドの指先に再び火が点き、ぼんやりと周囲を照らした。歩くのに支障はないが、通路の先まで見通すには頼りない。だがここから先は妖魔の領域だ。うっかりゴブリンに見つからないよう、慎重に歩くしかないだろう。
(……いよいよですね)
リアーネは杖を握りなおし、呼吸を整えた。自然と皆が押し黙り、静かに歩を進めていく。
「――あれ?」
三叉路に出たところで、シャルロットがふとつぶやいた。
「どうしました?」
「今、音が……」
しん、と張り詰めた沈黙が降りる。――その中で、確かに音がした。低く、何かが唸るような音だ。
『……こっちだな?』
先頭のステファノの囁きに、三人は頷いた。そっと通路を進んでいくと、次第に音が大きくなってくる。腹の底まで響くようだった。
通路の果てはすぐそこだった。そして、音の正体も。
「ひゃっ……!」
シャルロットが小さく悲鳴を上げる。通路の終点には、大柄なゴブリンがだらりと寝転がっていた。その腕の太さといったらリアーネの倍以上――もしかしたら、ステファノより大きいかもしれない。だが今は侵入者に気づかず、呑気にぐうぐうといびきをかいている。
「ゴブリンって、小鬼じゃないの!?」
「ホブゴブリンという亜種個体でしょうね。なんでも巨人族の血を引いてるとか」
「……豆知識はいいから、さっさと片付けちまおうぜ」
ステファノが背負っていた大剣を抜き、構える。薄闇の中でも光る刃に、シャルロットが小さく息を呑んだ。振り下ろされた剣がわずかに空気を震わせ、鮮やかにゴブリンの首を叩き斬る。
「――!」
肉と骨が潰れる音に、掠れた断末魔が混じっていた。むせ返るような血の匂いに、リアーネは一瞬息を止めた。
「行こうぜ。まだゴブリンどもいるだろうしな」
淡々と血を払い、ステファノは三叉路へ戻っていった。彼もこれが初めての依頼だと言っていたが、その背中には強がりも気負いも見えない。
(――あの人は、骨の髄から剣士なのですね)
リアーネは悟った。リアーネが魔女であるように、ステファノは生まれながらの剣士だ。きっと冒険者は彼の天職だろう。
「おい、そっちは入口だぞ」
「あ、そうだったか?」
……方向感覚は怪しいらしい。
三叉路まで戻った一行は、今度は北の通路へ進んだ。少し開けた空間に出ると、奥から騒がしい物音が聞こえてくる。間違いなく、ゴブリンの群れだ。
「いよいよだな。さて、作戦は」
「んなの決まってんだろ。……先手必勝だ!」
止める間はなく、勇ましい鬨の声を上げたステファノが通路の先へ突っ込んでいく。リアーネが呆気にとられている横で、アルフレドが舌打ちした。
「あの馬鹿――二人はここに!」
そう言って、アルフレドも駆けていく。ほとんど間を置かず、剣劇の音が聞こえてきた。
「ど、どうしようリアーネ!? あたしたち、何を」
「……まずは落ち着きましょう、シャルロット。そんな声じゃ精霊たちに届きませんよ」
腕に縋り付いてきたシャルロットの手をそっと握る。震えが収まったのを確認してから、二人は慎重に歩き出した。
そっと通路の先を覗いてみると、ここよりも広く開けた空間だった。ゴブリンとコボルトの群れを、ステファノの大剣が豪快に薙ぎ払っていく。大剣から逃れられても、アルフレドが放つ弾丸で燃やされていく。出る幕は無いかもしれない――そう思った瞬間、広間の奥に目が留まった。
「……しまった」
ローブをまとい、杖を握りしめるゴブリン――ゴブリンシャーマンだ。何やらぶつぶつとつぶやくゴブリンの視線の先には、ステファノがいる。リアーネが詠唱するより先に、ゴブリンシャーマンの杖から光が放たれた。
「ぁ、あ――……ウオオォォォ!」
光が直撃した瞬間、ステファノはびくりと身体を震わせ、静止する。奮い立つように咆哮した彼は再び剣を振るいだしたが、明らかに動きが違った。
「何やってんだお前――おい!」
「ど、どうしちゃったの一体!?」
アルフレドの怒号と、シャルロットの悲鳴はほぼ同時だった。あまりにも大振りな一撃はコボルトの首をはねただけでなく、危うくアルフレドも真っ二つにするところだった。
「おそらく【精神破壊】です。今の彼には、すべてが敵に見えているのでしょう」
「そんな……!」
どんな恐怖に襲われているのか、ステファノの顔は引きつり、目は血走っている。荒々しく大剣を振り回しているおかげでゴブリンたちをよせつけないが、アルフレドも近づけずにいた。
(……落ち着いて、エルリアナ。今動けるのは、私たちだけです)
逸る気持ちを抑え、己に言い聞かせる。シャーマンを含めたゴブリンたちに気づかれる前に、この場をひっくり返さなくてはならない。きっとそのために、アルフレドは『ここにいろ』と言ったのだ。
改めて広間を観察する。コボルトが三匹、ゴブリンは二匹、広間の最奥にゴブリンシャーマンが一匹。体力切れか術の影響か、ステファノの動きは勢いが衰えつつある。アルフレドはゴブリンたちとステファノの攻撃を捌きつつ、油断なく周囲に目を光らせている。その赤い瞳と、一瞬だけ視線が合った。
――刹那、リアーネは己が何をすべきか悟った。手札は、十分に揃っている。
「シャルロット、一つ作戦があります。聞いてくれますか?」
親友を呼び寄せ、口早に説明する。シャルロットはきゅっと唇を引き締めて頷いた。
「わ、わかったよ、やってみる」
「私が合わせます。いつでもどうぞ」
「……うん!」
シャルロットはすう、と息を吸い込み、竪琴の弦を弾いた。その瞬間、洞窟の空気が変わった。
「……《急流の乙女、あぶくの娘よ!》」
朗々と歌声が響きわたり、遠くからくすくすと笑う声がする。彼女の歌が確かに届いているのを確認し、リアーネも詠唱を始めた。
「《其は違えぬ一矢、空より降る光――」
心臓が大きく脈打つ。沸き上がる熱が全身を巡り、満たしていく。頭だけは冷えて澄み渡り、洞窟の隅々まで見通せるようだった。握りしめた杖の先端に、魔力が集束していく。
「ギッ……?」
ゴブリンたちがこちらを見つけた。目を爛々と光らせた小鬼たちが通路へ走りだしたが、リアーネは動じなかった。
「《岩に坐し、泡立つ波を腕に抱きて、荒立つ海を鎮め給え!》」
シャルロットの歌とともに、目には映らない波がはじける。その正体は、水流を操る海の精霊たちだ。彼女たちがゴブリンを抑えつけ、無邪気に弄ぶ中、リアーネの詠唱も完了した。
「――星よ奔れ、貫け!》」
叫び、矢となった魔力を撃ち出す。矢はゴブリンたちの頭上を越え、急なカーブを描いてシャーマンの脳天を貫いた。
*
リアーネがシャーマンを撃ち抜くのと同時に、アルフレドは駆け出した。敵味方を区別しているのか、精霊たちは邪魔してこなかった。未だ翻弄されるゴブリンたちの間をすり抜け、混乱状態にあるステファノのもとに難なく辿り着く。
「世話かけやがって――《そよ風運べ、すべてさらってくれ》」
詠唱と共に細剣を振ると、一陣の風が吹いた。やわらかく軽やかな風を濁った空気を押し流し、ステファノを包み込んだ。一瞬、彼の動きが止まる。
「――……ぁ、オレ、は」
「ほら、まだ仕事は残ってるぞ。しっかりしろ」
「……お、おう!」
虚ろだったステファノの背中を叩いてやれば、目に光が戻る。大剣をしっかり握り直して構える姿に、隙はない。
指揮官を失ったゴブリンの群れなぞ、もう敵ではなかった。
*
「――っし、勝った!」
無事広間を制圧したステファノは、誇らしげに笑って大剣を掲げた。逃げ出したゴブリンたちも何匹かいたようだが、当分戻ってくることはないだろう。
「初陣にしては上出来か。一時はどうなるかと思ったが」
「うるせーな、何とかなったんだからいいだろ!」
「……本当に、よかった。みんなが無事で」
シャルロットもようやく顔をほころばせる。それを見た途端、緊張の糸が切れたのかリアーネの足が震えだした。それを誤魔化すように、広間の中心へ向かう。
「アルフレドさん、ステファノさん、怪我はないですか。傷薬は持ってきていますが」
「俺は問題ない」
「オレもかすった程度だ。……というわけで、さっさと帰ろうぜ! 帰って酒だ!」
「あっ、そっちは違いますって!」
ステファノがずんずんと進んだ先は、またしても出口とは違う道だ。なぜか自信満々な背中を、リアーネたちは慌てて追う。
「おい見ろよ! 宝箱だぜ!」
ステファノが歓声を上げた。狭い部屋の片隅に、確かに宝箱が埃を被っている。
「ゴブリンたちの戦利品でしょうか」
「……鍵がかかってる。可能性は高いな」
アルフレドが頷く。しばらく慎重な手つきで錠を確かめていたが、おもむろに形のいい眉を顰める。
「誰か、解錠道具持ってるか? 手持ちが切れてるんだ」
沈黙が下りる。全員、解錠道具も技能も持っていないのは明らかだった。
「……仕方ない、箱ごと持って帰るか」
「ここで鍵壊しちまえばよくね?」
「よくない。罠があるかもしれないんだぞ」
さっと箱を持ち上げ、アルフレドが嘆息した。その表情には少し疲労が滲んでいる。思えば、彼は昨晩から働きづめだ。
「盗賊のツテはないこともない。今は、リューンに帰ることを優先しよう」
「そうですね。……さぁ、帰りましょう!」
そして今度こそ四人は洞窟を出て、何事もなく黄昏の鳥亭へ帰還した。
リプレイ元『ゴブリンの洞窟』(制作:齋藤洋 様)